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鏡像からの気づき、問題の解消から昇華へ

自分と相手を対決の構図とみれば、どうしても自分側に立って事実を解釈しがちなのが人間というものだ。しかし、相手にとって見えている私という鏡像で、自己を真逆から捉えることができれば、見える世界も変わってくる。

このワンクッションは相手の考慮という意味だけではない。もちろんそれで冷静に状況分析ができるに越したことはないが、あえて回り道をした現実感は、当然即物的に捉えた現実感とは違いがある。そこには必ずずれがあるのだ。

このずれこそが、実は隠された課題と言っていいだろう。単に自分解釈で目先の問題を解決する発想では、不都合は外部環境に押しやるだけで、本質的に解消しているかどうかは定かではない。一方で、自分と相手の思惑のずれを課題とするならば、負債の移転という逃げ道は使えない。

もちろん、面倒か面倒でないかでいえば、けっして容易な方法ではない。しかし、問題の芯を外さないという意味において、大変だからこそ、こうした選別眼を養うことが欠かせない。

ほんとうの問題は問題という皮をかぶっていないかもしれないのだ。一見して気づかないこと、それとは気づけないこと、問題は問題として明示されているとは限らない。だからこそ、そこに光を当てられるかどうかが問われている。

でも、交渉を単に自分の要求を叶える場ではなく、相手にとっても合意可能で自分が抱える課題へのソリューションを見つける方法であるととらえ、相手の課題解決にもつながる話し合いの場へと意識をシフトさせると、交渉が「あなたと相手が協力して問題解決をする機会」へと変わっていきます。

情報源: 「交渉すべき」か「せざるべき」か、それが問題だ!|スタンフォード大生がこぞって学ぶ「希望を伝える技術」 | クーリエ・ジャポン