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レビュー:これがすべてを変える 資本主義VS気候変動 ナオミ・クライン著

温暖化の問題と言えば、環境領域の問題だとカテゴリー付けされるのが一般的だが、問題の根本を紐解いていくと、資本主義をはじめとする経済やわれわれの価値観そのものに原因があることに本書は気づかせてくれる。

市場原理主義、グローバル経済、新自由主義といった経済的ロジックがあたり前の現代において、そのこと自体を疑うことは難しい。しかし、資本主義が万能ではない証左として、地球環境問題がクローズアップされる。

消費を拡大させ続け、資源を浪費し続けることでのみ、現在の成長ロジックが維持されるわけだが、それは無限のキャパシティがあって初めて可能になるものだ。つまり地球という限られたリソースを前提にする以上、そこには大きな矛盾が認められる。現状大勢を占める論理では持続不能なのだ。両者は相容れないものだと認識する必要がある。

これを気候や環境の問題と限定して考えると論点を誤るのだろう。これまでのような資本主義のロジックには決定的な欠陥があり、早晩、崩壊は免れ得ない。その顕著な例として、歪みが自然環境に反映されてきていると考えるべきだ。

エネルギー産業をはじめとして、既得権益に大きく引きずられるため、市場原理に任せたのでは、強者総取りを許すだけで、そのしわ寄せは全世界に蔓延する。革新的技術によって解決しようとの姿勢は、現状の資本主義経済ロジックには何ら手を加えないため、結局は一時しのぎにすぎない。

自由主義万能論にはブレーキが存在しないのだ。結果、死への暴走が止められない。振り落とされたら、落とされた本人の責任だ。他人より一秒でも多くしがみついてさえいられればそれでいいという無責任が蔓延する。もっと穿っていえば、他人を蹴落とすことで自己の保身が担保されるとも捉えられよう。

このように、環境問題の根っこには、われわれが所与として疑わない、資本主義的思考の隠された欠陥が大きく関係している。経済的に生きることを担保しても、環境的に死が待っているという大きな矛盾だ。ゆえに、生き残るためには何をすべきか、前提を排してもう一度ゼロから問い直すことが求められる。