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レビュー:多数決を疑う 社会的選択理論とは何か を読んで

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わたしたちは、多数決をあたり前だと思っている。

民主主義とは、わたしたちの意思の反映であって、そのツールが多数決なのだと。

 

しかし、その一方で、多数決を無為だと思っているのも事実だ。

結局は、個々の意思など大して意味はないのだと。

 

たしかに、少数意見が反映されなかったり、いわゆる死に票となってしまえばそれもわからなくはない。

もっと悪いと、漁夫の利で、意図しない第3者が当選してしまうなどは制度の敗北だろう。

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レビュー:プレイ・マターズ 遊び心の哲学 を読んで

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遊びとは何か?

そもそも、遊びとは一段低くみられていることもあって、それほど真剣に考えられることもないのだろう。

 

しかし、遊びには別の意味もある。たとえば、物と物との干渉を和らげるためには、一種のあそびが求められる。あそびがあるからこそ、うまく収まるものだってあるのだ。

 

人間の行動だってそうだ。遊びなしにぎちぎちに詰め込んで、絞り込んだからといって、それが結果にプラスに働くとは限らない。

それが機械ではなく人間であればなおさらだ。

 

動くものにはあそびが必要だし、人間のように意思をもって動くとなればなおさらだ。

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人間を含めた効率と人間に資する効率 効率化のふたつの視点

効率とは善なのか?

 

また、人間とは多様なものか、それとも不確実なものか?

 

この辺の見極めを誤ると、大筋を違えることになるだろう。

 

人間とは、多様であり、同時に不確実だ。つまり、優位性と劣位性は表裏一体のものであり、これを切り離して考えることはできない。

しかし、機械的思考は、割り切れないものを嫌う。

ポンテンシャルといった未知数は、不安定要因としか計測できないのだ。

 

機械化と効率化はとても馴染みよく連動する。

雑然としたものに秩序を与えることで、アウトプットを最大化する。

 

それ自体は何ら間違っていないし、高い便益を享受するうえで欠かせないが、その発想の内に人間を含めてしまうかどうかは別問題だ。

 

効率化の一要素として、人間まで含めてしまえば、それは人間性の放棄を意味する。

効率とは果たして誰のため、何のために追求されるのか?

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レビュー 時間は存在しない カルロ・ロヴェッリ著 を読んで

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「時間は存在しない」衝撃的な題名だ。

我々はあたり前のように時間の中を生きていると思っているし、時計を使って時間をきっちりと計っている。では何ゆえに時間は存在しないのか。

 

要するに、われわれがこれまであたり前として捉えてきたような意味での「時間」などというものは幻想にすぎないということらしい。

いわゆる絶対空間や絶対時間は虚構であって、あくまでもそれらは相対的にのみ規定されるということだ。

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レビュー:技術の完成 フリードリヒ・ゲオルク・ユンガー著 を読んで

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タイトルの通り、技術を主題に据えた書籍である。

では、技術の完成とは何か。それが意味するところは。

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