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思索のヒント、ブックレビューなどを中心に

ダイバーシティ、多様

レビュー ソーシャルメディアの生態系 を読んで

私たちは西洋を起源とする人間中心の世界認識になじんでいるので、それから脱するのは非常に難しい。 社会も個々人の人間を活かす媒体としての社会であって、逆ではないと思い込んでいる。そうした思考はあまりに強固で当然視されるため、そもそもそれに疑問…

アルゴリズムはどれほど人を支配しているのか? を読んで

近年の情報最適化の波から人工知能やシンギュラリティの議論の中で、AI(技術)対人間という構図が良く語られれているが、実際のところはよくわかっていないのが現実ではないのか。 フィルターバブルをはじめとして、知らず知らずのうちに、自分たちが情報に…

共感と異質性の合間を求めて

結局ダイバーシティなどお題目に過ぎないのか。 われわれは自然と受け入れられる者同士で凝り固まる傾向がある。異質さは本質的に脅威なのだ。だとすれば、なぜそれを求めなければならないか。 同質でありたいという願望と、異質さが根源的に無くならないと…

目指すところは平均でいいのか、無難ではトリガーにならない

予定調和というとわかりずらいので、もう少しイメージしやすいのが「平均」という概念だろう。今求めているのは無難な平均的落としどころなのか。それとも他社にはない唯一的立ち位置なのか。それによってアプローチも変わってくるはずだ。 違いを追求するの…

デフォルトを乗り越えられるか

日本での多様性の議論は一のものを多に広げるという議論になりやすい。人間行動が画一的に捉えられているが故だろう。一方で自然環境が元来「多」であることは存外違和感なく受け入れられている。このことから、必ずしも多様という概念に拒否感があるわけで…

それは定規で測るべき対象か

平均化、一般化、標準化。われわれは物事を端的に表現する指標を多く獲得しているが、その対象がいわゆる定規にあてはめるかのごとく分別できるかどうかはまた別の問題である。 グロスで物事を見ることは大事だが、同時にグロスで見落としてしまう意味内容も…

主観こそが差別化を生む

捉えどころのないものよりも、捉えやすいものから分析され利用されるのが常である。逆に考えれば、そろそろ客観を超えて主観をメインターゲットとする時代になってきたということも言えるだろう。 私たちは数値で示された指標には納得しやすく、信用しやすい…

コミュニケーションの濃淡を使い分ける

濃密な関係性は信頼度はあるものの、現代においてはやや窮屈でもある。適度な距離感、温度感のつながりがウケているわけで、何をおいてもまずは敷居の低さが行動のきっかけとなる。 選択的コミュニケーションの時代にあっては、それらの濃淡をとらえ、活かす…

結局着地点があいまいだった

目的と手段が転倒することはよく起こりうる。過度に調和を強調すれば、ダイナミクスがおざなりになる。生きた状態を具現するには、適度な破れも計算のうちに含むことが求められる。 私が言いたいのは、知性と善意を持つ大勢の人々が、時代を画する大問題につ…

肯定の対立と否定の対立

意見をベクトルの足し算で考えるならば、正反対のベクトル同士は打ち消し合ってゼロになる。一方で、同等な力が正対しぶつかり合う試合と考えると、その衝突は大きなエネルギーを発し場を盛り上げる。 対立がいいか悪いかではなく、多様性を担保することは対…

隔離では物事は解決しない

何か問題があったとき、とかくそうした環境への接触を断てばことは未然に防げるような幻想がある。しかし、問題への距離感を学ばなければ、環境へ的確にコミットしているとは言えない。外部環境は否応なく巻き込まれるから外部なのであって、内と外を切り離…

多様性の意味合いが変わってきた

完全なる同質性や完全なる異質性というものは幻想なのかもしれません。 二分論ではわかりやすさ優先で、同質か異質かを対置しますが、現実には共通項と差異が混在しながらそれぞれの特徴が構成されるといっていいでしょう。仮にまったく接点のないもの同士で…

直線がベストだと誰が決めたのか

自然と人工、いずれが優れているのでしょうか。われわれは道具を発明し、自然を改変し、優れた社会を生み出していると錯覚しがちです。しかし、長大な地球の歴史的英知からすれば、われわれが主に関与してきたスパンなど、ほんの些細な期間に過ぎません。こ…

普通であることに意味はあるのか?

ありふれた表現ではありますが、普通とは何でしょうか。 どういった状態を指して普通とみなせるのでしょうか。 あまりに当然すぎる話で、かえって説明することは困難かもしれません。 ノームコアとは、「ノーマル」と「ハードコア」を合わせた造語だ。派手な…

都市というスケールはビジネスには不向きなのか

ものごとには外面と内面がありますが、時として外面に惑わされて本質を見失うことがあります。 建築主導の都市刷新の愚行を見れば、都市というのは建物ではないことがわかる。都市とはその人々なのだ。 本書の中心的な主題は、都市が人類の強みを拡大すると…

高齢が意味するロジックも変わって当然である

「高齢化」と聞いたとき、どんなイメージを持たれるでしょうか。まだまだ高齢化=悪、だから若い人を増やせといった議論が中心を占めているように思われます。 世界は急速に加齢しているが、わたしたちの寿命も延びている。世界的にみると、平均寿命は1990年…

論理的、合理的がいつも正しいとは限らない

過剰適応という表現がありますが、合理性についても同じことがあてはまるようです。合理的とは非常に理知的性質を示すものであって、何ら否定される要因ではありません。しかし、すべてを計算し尽くした(かのような)態度は、ネガティブな面を惹起すること…

工業化か脱工業化か、それは選択の問題だ

20世紀の工業化、大量生産中心の思想から、そろそろ脱却する時なのかもしれません。 けっしてあたり前ではなかった標準化という発想が、この100年でわれわれの認識をロックオンしてしまいました。そのことに意識的に疑問を呈することがいま求められています…

まず違いからはじめよ

意思決定が求められる場合、一歩間違えると急いてまとめることばかりに注意が向かいがちですが、決めることと熟慮することは決して背反するものではありません。 アイデアの発展段階や意思決定における検討段階では、アイデアの真価を問いその価値を高めるう…

目先の好ましさが抵抗力を失わせる

居心地の良さは私たちの感性を鈍らせる。かく乱要素は一般的に忌避される傾向にあるが、まったくの凪の状態では気づきが得られなくなる。その意味で、好ましいかどうかにかかわらず、毛色の違うものを意識的に引き込んでくることがポイントとなる。 私たちは…

何のためのダイバーシティなのか?から再考する

ダイバーシティ、多様性は錦の御旗になってしまっていないでしょうか。確かに自然の多様さを見れば、無条件にいいものとみなされるのかもしれません。しかし、組織行動とは合目的であることを前提としていますので、ダイバーシティありきでは真の目的を見落…

多様さと簡潔さの相関

雑音とハーモニーの違いはどこにあるのでしょうか。 多いということは決して悪いことではありませんが、多くのエッセンスを束ねる芯があるかないかで状況は大きく変わります。 アイディアの研磨は、多様な価値観と視点を持つメンバーからなる学際チームで徹…

ダイバーシティとは ダイバーシティの意味するところ

一般にダイバーシティというと男女共同参画といった平等性、機会均等といった面で強調されることが多いです。 しかしここでは、もっと根源的な意味で、人間とさらには周辺環境が本来的に保持している『多様性』という、先入観の入り込まないフラットな押さえ…