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直線がベストだと誰が決めたのか

自然と人工、いずれが優れているのでしょうか。われわれは道具を発明し、自然を改変し、優れた社会を生み出していると錯覚しがちです。しかし、長大な地球の歴史的英知からすれば、われわれが主に関与してきたスパンなど、ほんの些細な期間に過ぎません。ここ100年における環境へのインパクトが、善きにつけ悪しきにつけあまりに急拡大したため、さもわれわれが自然の主たるポジションにいるものと思い込んでいます。

コントロールしているとの感覚は、われわれの所有欲や征服欲を満たすものではありますが、その実、コントロールできているのは非常に限定されたケースだけなのかもしれません。人間が己の都合で考える効用は、短絡的にものごとを解釈した一面的なものに過ぎず、それをやすやすと覆された時、自然が想定外の牙をむいたなどと責任回避ともとれる言い訳に終始することになります。

自然はいかなるもの、いかなる目的にも絶対に直線を使わない。…もしも直線が最善ならば、自然は少なくともひとつぐらい直線のデザインを進化させたはずだ。  現代の科学の世界は直線的な思考に基づいている。人類としての私たちは平らな地球という概念をおよそ500年前に放棄したが、思考はいまだに直線的で、相変わらず限定的なパラダイムにとらわれている。ところが実際には、全宇宙はらせんの幾何学的形状から成り立ち、自然はすべてそれに従っている。 自然をまねる、世界が変わる バイオミミクリーが起こすイノベーション ジェイ・ハーマン著

今日でこそ、非線形に対する科学的知見も広がっては来ていますが、まだまだ人工的なものは単純化を善しとします。もちろん単純化には相応の効用がありますから、むげに否定されるものではありません。しかし、単純化してよいものと、単純化してはならないもののの線引きができるかどうかのほうがよほど意味のあることです。

最適化というと、なんでも無駄を取り除いて、最短経路を志向するようなミニマムの印象がありますが、ある種のあそびといいますか、バッファーや迂回路を内に組み込んだシステムのほうが、状況への適応力において頑強さを示せることも事実です。

人間が意図的に限られた期間で目的を達しようとすることと、自然が長大な歴史的推移の帰結として今をかたちづくっている事実を一概に比較することはできませんが、自然というメカニズムはまだまだ奥深く、人間はそこから学び尽くしてはいないということです。その事実を謙虚に受け止め、既存概念の限界性を頭の片隅に置いておくことが、新たな気づきに資するはずです。あたり前=盲点ということです。