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思索のヒント、ブックレビューなどを中心に

知性、知識

レビュー:プレイ・マターズ 遊び心の哲学 を読んで

遊びとは何か? そもそも、遊びとは一段低くみられていることもあって、それほど真剣に考えられることもないのだろう。 しかし、遊びには別の意味もある。たとえば、物と物との干渉を和らげるためには、一種のあそびが求められる。あそびがあるからこそ、う…

レビュー:野性の知能 ルイーズ・バレット著 小松淳子訳

われわれは知性というものを脳内の蓄積量のようなものと認識しがちだ。しかし、コンピューターのようにすべてを情報として蓄積しようとするのはけっしてスマートな方法ではない。 動物の本性としての行動観察から、実はすべてを知っている必要はないことが明…

知性は持っているかどうかでは測れない

知性の基本は、知識の習得以上に行動力です。 経営課題として、不確実性の増大や変化スピードの速さといったことがいわれますが、これは新たな課題と言えるのでしょうか。実際、いつの時代にも、こうした指摘はなされてきましたし、未来を見通すことの難しさ…

不確実性はネガティブ要因なのか

いつの時代にも、不確実性は忌避すべき問題として取り上げられます。そもそも「不」確実といった時点で、すでにネガティブな意味合いが認められます。それは外界から襲ってくる抗い得ない大きな圧力であり、われわれはその状況を甘んじて受け入れざるをえな…

ソーシャルが意味するところ

ソーシャルとは、まさにわれわれ自身と社会との積極関与の法則と言えます。 近年のソーシャルツールの普及・流行から、利用者目線の情報を、広く大量に、そして迅速に収集することがソーシャルであるかのように捉えられていますが、果たしてそれで十分といえ…

インテリジェンスにとっての最大の弱み

インテリジェンスの最大の弱みとは何か。 逆説的かもしれないが、インテリジェンスにとって、インテリジェンスこそがウィークポイントとなる。知をもって物事を制するという発想は、知ですべてを統べるという錯誤を生み出しやすい。結果的にインテリジェンス…

高等技術としての引き算

モノゴトを端的に表現することは非常に難しい。短ければいいというものではないし、小難しい単語でごまかせるものではない。 噛み砕くとはよく言われるけれども、とても厄介なプロセスである。前提として、きちんと自分自身で咀嚼できていなければ、どうにも…

その知は伸び縮みできるか

不正確な中であれば正確さは意味を持つが、正確さがデフォルトになったとき、それはあたり前として無価値に転じる。 事実は伸び縮みしないが、われわれの思考は伸び縮みさせることが可能であるし、それが強みにもなる。正誤判断の相対的意義は低下し、事態の…

知っているとはある種の危険信号である

知は得ることではなく、為す(成す)ことである このように位置づけるならば、一般的に情報に精通しているといった意味で使われる、「私は知っている」には大きな欠陥が含まれる。 「知っている」つもりという厄介な意識が、「知らない」ことを知るという思…

学びたいのか、それともひけらかしたいだけか

パソコンのハードディスクが空き容量に書き込みするように、わたしたちも自分に空き容量をつくる必要がある。なぜなら、空きがなければ、新たなものは吸収できないのだから。 だとすれば、自分に空きがある=足りない部分があることを積極的に認めることが知…

上手に間違える

間違えないという方法は現実的ではない。なぜなら、人は間違えるものだから。 だとすれば、どう間違えるか、上手に間違えることが差異を生む。 とかく人は間違いから目を背けたがるものである。だからこそ、間違いに真摯に向き合えるかどうかが問われている…

リテラシーを身につけるチャンス

フェイクニュースや情報の信ぴょう性についての話題が取り上げられる昨今であるが、これは必ずしも悪いことばかりではない。 今は過渡期で、どうしても情報に振り回される傾向が強く出ているが、考えようによっては、情報を選別する能力を身に着けるチャンス…

どんなに美味しいものでもそれだけでは飽きる

情報化によって、知の偏りが心配されているが、それは今に始まったことではない。保守的な人はどうしても自らの殻に閉じこもる。むしろ目にする光景が画一化されてしまえば、何か物足りない、面白くないと感じるのが人情だろう。 人間は好奇心をうまく活用し…

情報過多時代だからこその信頼

信頼はその人個人と結びつくことで強化される。 その意味では、いわゆる普通の情報と、個人の顔が見える信頼情報は似て非なるものだ。 情報はデータ的に均質ではない。意味あるもの、意味があると認められるだけの信頼情報が勝ち残る。そう考えると、情報に…

”間違いは悪”のまちがい

習慣とはおそろしい。上書きは間違いを帳消しにできるかのように錯覚させる。正解ばかりを追い求める原因となる。 間違いへの向き合い方を学ばなければ、間違いを超克したことにはならない。 テストの答えが間違っていても、答案用紙上のデザイン性が優れて…

高尚さなどいらない

とかく人間は複雑なものほど意味があると思い込む傾向があるが、言葉による言明ひとつとっても、小難しい表現よりも、かんたんな表現ほど的をえているものだ。 むしろよくわからないからこそ、回りくどい言い回しを使ってそれをごまかそうとする。 いらない…

経験の罠

見えるものを見ようとしないことは批判され、見るべく努力することが求められるが、そもそも見えないものは話題に上るはずもない。 われわれの認識や理解は経験をもとに構成されるのであるから、もっと経験を積めというのは道理ではある。一方で経験からは導…

スピード時代へのアンチテーゼ

スピード信仰によって、われわれは我慢ができなくなってしまっている。圧倒的な物量によって強制的に押し流されていることが、あたかも充実したものと錯覚しているともいえるだろう。 広く薄く、全体的に雰囲気をつかむだけであればそれで事足りるが、一方で…

知性の未来(フューチャーオブインテリジェンス)

インテリジェンスも時代に即応して変化していくもの。なんとなく主体に付随するものとしてインテリジェンスをとらえているが、その主体そのものが揺らいできたとき、果たしてインテリジェンスは個人の問題で済まされるのか…。 金井 AIに特化しているというこ…

ルールを自分のものとする

ルールに縛られる、ルールに守られている、といったように、ともすると私たちは与えられるルールに粛々と従うことを善しとしてきた。一方で、将来をつくり出すということは、ルールづくりをも含めたトータルで、道筋を切り拓くことともいえる。 とかく基準を…

下手な効率は野暮な短絡

ネットをはじめとして、物事が効率的であるのを最優先にする風潮は、思考の豊かさを奪っていく。 むしろ「考える」ということは、効率とは真逆の、非常に手間のかかる、いや手間をかけることにこそ意味を見出す行為であるだろう。 杓子定規な効率化は百害あ…

わかった風な事態の裏側

答えを早く知りたい、原因を突き止めて納得したい、こうした思考は人間の習いであって、避けて通ることは難しい。 だからこそ、それこそ「腑に落ちる」ほどのわかりやすい事態には裏があるかもしれないと、一歩引いて見直すことが求められる。 2つの変数の関…

素朴な疑問にきちんと向き合えるか

物事の裏表は実はつながっているのかもしれない。表と思ったものが裏だったり、裏と思ったはずが表だったり。 わかっている(つもりの)ものがじつは理解できていない。「灯台下暗し」、ありふれた表現だが、今なおそれが最大の課題でもあるのだろう。 刺激…

思考が先か、検索が先か

予測変換は、確かに手間を省く利便性を提供する一方、われわれの思考を誘導していく性質も兼ね備えている。 「そう、そう」「これ、これ」と予測の精度に納得する前に、それはその他大勢と同じわだちを踏むことでもあると自覚できているか。素朴な無自覚は意…

待てない現代が陥りやすい罠

情報化は量の豊かさを提供してくれるものの、そのスピード感が、私たちに「待てない」事態を引き起こしている。すなわち、答えがすぐに返ってこないという状況に耐えられなくなっている。 その結果、物事を短絡的に原因と結果で紐づけようとする無意識の圧力…

豊かさのジレンマ

不便であればあるほど、インフラの革新は急速に普及する。ある程度満たされてしまっている日本社会では、かえって盲目的で気づけないことも多い。 日本人ならば「別にそこまでしてスマホで支払わなくてもいいんじゃない?」と思うかもしれないが、それは私た…

知らぬを知ることこそ智

知ったふり、知っているつもり、なんとなく理解している、などなど、知っていることの分量で安心してしまう。しかし、ほんとうに求められているのは「何を知らないか」のほうなのだ。知らないからこそ気づきが得られるのであって、知っていることに慢心して…

見えない殻を打ち破れるか

自らの殻を壊すのも、また自らの殻に閉じこもるのも、自分次第。少なくとも、漫然と殻に覆われるのではなく、自分の殻はどこにあるのか、意識しておく(意識できる)ことが最低限のリテラシー。 この、自分にとって心地よい情報ばかりが目に入る環境をフィル…

思考の偏食に気づいているか

良くも悪くも、私たちの思考は一定のバイアスを持っている。それが個性でもあるわけだが、放っておけば視野はどんどん委縮してしまう。 時として、半ば強制的に、普段なら選択しない情報源に接触すること、そしてあたり前に疑問の余地を与えること、それが自…

これからの情報アプローチ

情報の受信、発信のハードルが下がったことで、フェイクニュースに典型のように、いかに情報に向き合うか、現実は玉石混交の状態にある。少なくとも多角的に情報をとらえ直す契機として、この乱雑さは無駄ではない。発信側も受信側も、単に与える、与えられ…