something eureka

思索のヒント、ブックレビューなどを中心に

知っているとはある種の危険信号である

知は得ることではなく、為す(成す)ことである

このように位置づけるならば、一般的に情報に精通しているといった意味で使われる、「私は知っている」には大きな欠陥が含まれる。

「知っている」つもりという厄介な意識が、「知らない」ことを知るという思考の深堀を妨げるのだ。本来、知れば知るほど、知らないことに気づいてしまうはずだから。

また、知るはそこで止まらない。知ったらやらねばならない。やれて初めて「知」として体化(昇華)される。

情報化時代は、漫然と情報に振り回される危険があると同時に、自らの知について捉えなおすチャンスでもある。

つまり知恵とは、集めた情報と知識を使って、よりよい世界をつくるための方法を理解し、予見すること。たとえば、記事を読めば一時的な情報は得られますが、本当の変化を起こすツールを得るには、そのトピックを深く理解しなければなりません。

情報源: 情報時代に本当の知恵は生まれるのか? | ライフハッカー[日本版]