デザイン
遊びとは何か? そもそも、遊びとは一段低くみられていることもあって、それほど真剣に考えられることもないのだろう。 しかし、遊びには別の意味もある。たとえば、物と物との干渉を和らげるためには、一種のあそびが求められる。あそびがあるからこそ、う…
われわれはとかくデザインを対象物の属性として理解している。一方で、人間の認知という仕組みを厳密に考慮すれば、たとえ同じ現象や対象物でも、良いという人もいれば悪いという人もいる。このように人によって受ける印象や捉え方が変わるのがむしろ人間の…
本書は現代における経営の欠陥は美意識の欠如に起因するものとして、ビジネスにおけるアートの意味合いを説く。 時代の転換点にあって、20世紀型の成長モデルと連動した分析的、科学的アプローチには限界が見えてきた。いわゆる「正解」を追い求めるロジック…
とかく日本人はマネタイズを下賤なものと考えがちであるので、どうしてもそうした発想は前面に出てくることがない。だから、良いものさえ作れば、良いサービスさえすれば、おのずと結果はついてくるといった美徳がもてはやされる傾向にあるのだろう。 だから…
マツダのデザイナーによる、デザイン畑、メーカー畑からのデザイン論である。マツダの「魂動デザイン」を通じて、いかにデザインを全社的に敷衍し、息づかせるかという意味で、組織論でもあり、人材活用論でもある。
バイラルをはじめとして、話題性が主題となると、どうしても勘違いしやすくなる。いわゆる盛るという発想もそうだろう。実際がどうかではなく、どう見えるかが最優先されるのだ。 もちろん、見られるという、相手を想定して思考すること自体は悪いことではな…
昨今至る所でデザインの重要性が叫ばれています。デザインシンキング(デザイン思考)というのもその一つの顕れと理解できます。一方で、旧来からあるデザインのイメージがあまりにも強いため、デザインの重視というと、特定のビジネス局面(わりやすいとこ…
コンセプトに必要なものは何か。それは「見通し」のよさに尽きるだろう。趣旨が明快であること、論旨が直截的であること、そして具象化による可視性の高さが条件となる。いわば「太く短く」ということだ。 最も避けるべきは、あれもこれもと欲張ることで総花…
いわゆる自動車メーカーが移動サービスプラットフォームへと脱皮しようとしている、これは時代のすう勢だ。 製造業は売り切りモデルで、販売後はあくまで付随的サポートの位置づけだ。一方のサービス業では、付随とみなされていたその後こそが主戦場であって…
一般には合致が良きものとして理解されているが、それだけだと味気ない。われわれは違和感に興味を抱くからだ。 もちろん、まったくの正反対で、何ら関連付けもできないような違和感は不快なだけかもしれない。しかし、微妙にニュアンスが異なるなど、自身の…
情報技術隆盛の今、どうしても技術偏重になりがちなのは致し方ない。とはいえ、技術がわれわれに方向付けしてくれるわけではない。われわれが、方向付けを行って技術を援用するのだ。 であるから、われわれ人間の多様さ同様に、人間理解のための評価軸を多く…
たくさんの選択肢がありすぎると、人間はかえって選べなくなる、とは心理学的によく言われることではあるが、情報が手軽に取得されるようになった現代では、まさに切実な問題なのかもしれない。 かつては自身の選択こそが自由の象徴ととらえられていたが、今…
会社に取り入れるとか、導入するとかという発想は、有用な機能を外部からビルトインすることを意味しているのだろうが、はたしてそれでいいのだろうか。 取り回しのきく、活用度の高いツールであれば、それを適宜取り入れることはやぶさかではないが、それは…
歴史は繰り返す。〇〇を再発明する。etc. 一見陳腐化したものが、新たな需要を得て見事に息を吹き返す。つまり、対象物はまったく同じだとしても、それを用いる文脈が変わることで、その位置づけはプラスにもマイナスにも作用する。 肝心なのはそれが何かで…
かつてはモノを手に入れること自体で達成感があったが、現在はモノに振り回されるのはかっこよくないという認識に変わってきた。つまり、いつまでもモノを追いかけるビジネスモデルでは通用しないということだ。 ではモノの先に何があるのか。生活という時間…
とかく人口減少には生産性の向上で対処するといった話が聞かれるが、それではマイナスを埋め合わせてゼロに戻すといった発想の域を出ない。 これは物量思考であって、20世紀のレベルを維持するにはという発想だ。しかし、そもそも物量がそれほど重視されない…
デザインは対話であり、対話がデザインを意味する。 そう考えると、対話のないビジネスはないように、デザインのないビジネスなど考えられない。 彼は「デザインとは基本的に世界をより良いものにする社会的行動である」と信じている。だが「それと同時にビ…
いわゆる常識というフレームは、通常意識に上ることもなく、自然となじんでしまっている。それを疑うのは当然に困難を伴うだろう。 人が先か、フレームが先かの議論は問題のすり替えかもしれない。なぜならわれわれがフレームをつくり、同時にそのフレームに…
人が介在するのには相応の意味がある。もちろん、無条件に自ずと意味があるのではなく、意味をそこにつくり出せるかどうかが問われている。 意味を与えられる側ではなく、意味を与える側に立っていれば、ロボットに仕事が置き換えられるといった無用の心配を…
人間が求めるものは難しいようで実は至極あたりまえの簡単なことなのかもしれない。 むしろ小難しく、それがさも価値があるように虚飾してしまうことで、自ら迷路に迷い込んでいるだけなのかもしれない。 何を付け加えるかではなく、何が要らないか、無駄を…
捉えどころのないものよりも、捉えやすいものから分析され利用されるのが常である。逆に考えれば、そろそろ客観を超えて主観をメインターゲットとする時代になってきたということも言えるだろう。 私たちは数値で示された指標には納得しやすく、信用しやすい…
社名とは事業の中核を象徴するものであり、それが簡単に変わることはない。しかし、道具で何かを達するというよりも、機能をダイレクトに授受する(できる)ようになった昨今、中核だからこそ再定義が必要という事態もありうる。 昨日の端的さは明日の軽薄さ…
ただコスト的に人手をロボットに置き換えたのなら、単なる安っぽさにも捉えられるが、ロボットと触れ合う愉しみとすれば、これまでにない体験に変じる。同じ事象でも、意味付けの仕方によってその評価は180度違ったものにできる。 2015年にハウステンボスに…
モノに溢れかえった現代だからこそ、見えないところにカギがある。むしろ、見えない部分をどう作りこめるかが差異を生む。 接待の究極を求めると、宴席を持つ側と招かれる側の両方が格好良く振る舞えるように工夫されているのがよくわかる。もてなしの手本に…
耳ざわりの良いフレーズほど使い物にならないという事実は皮肉である。とかくビジョンや戦略と称して、そのような空虚な言葉遊びが繰り返されているのが、残念ながら多くの現実として認められる。無駄にカッコいい大言壮語な表現は単なる幻覚のようなものだ…
すでに過剰最適という面と、まだまだシステム不全ゆえという面の両極から分析できる。 モノから体験へといいながら、未だモノに振り回されている現実は、物流の最適化の範疇だけでは捉えきれない。 そもそも、再配達は消費者が要求したから始めたというより…
前提、概念、思い込み、わたしたちは意識せずとも一定の認識理解の枠組みに沿って思考を進めているものです。それがいかにも絶対的で確固たるものであるかのごとく勘違いして。 クリエイティビティとは「既存の枠にとらわれれず考える」ことだと言う人がいる…
目的性が明快なものに実直に取り組んでいくことは、比較的方法論が確立されていますが、目的性自体を定義するとなると、格段に難易度が向上します。 今の時代、求められているのは「課題設定型リーダーシップ」です。日本はこれまで世界が設定した課題をしっ…
私見ですが、そろそろイノベーションという表現から卒業すべき頃合いではないかと考えています。なぜなら、イノベーションという表現が乱暴に使われてきた結果、「何となく現状を打破してくれそうな良さそうなもの」というふわふわした感覚が拭いきれないか…
過去に学ぶことは大事なことですが、それと、過去に答えを求めるのとでは大きな違いがあります。 そもそも、将来を予測することで予め対策を練っておこうという受け身の姿勢と、将来像を描くことを含め主体的にこれからを構築するのとでは雲泥の差があります…