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将来に正解を求めることの勘違い

過去に学ぶことは大事なことですが、それと、過去に答えを求めるのとでは大きな違いがあります。

そもそも、将来を予測することで予め対策を練っておこうという受け身の姿勢と、将来像を描くことを含め主体的にこれからを構築するのとでは雲泥の差があります。

「歴史から学ぶ」とよく言われますが、私は、過去が直線的に流れて将来はこうなると予言風に学ぶのは間違いだと思います。 変化を予測することは難しい。歴史から学べることは、「将来は予言できない」ということです。 ただ、言えるのは、課題をたくさん抱えているからといって悲観的に考え過ぎないことです。そして、意識を変えることが必要です。 歴史から学べることは「未来は予測できない」ということ ライフハッカー

歴史は繰り返すという格言もあるため、過去を掘り返せばどこかに答えが埋もれているはずだと思う心理も分からなくはありません。しかし、答えを求めようという姿勢そのものをもっと疑ってみる必要があります。

線形志向では、答えがあることが当然とみなされるため、正解探しから始まってしまいます。しかし、世の中には正解のない問題もある、いや、むしろ正解のない問題のほうが多いのが実情です。

未来を志向することは、まさにこの正解のない問題を解くようなものですから、単純に過去を振り返ることが解法にはなりえません。さらに歴史を通じて評価というものも変転するのが常ですから、歴史という視点は、後付け的に検証する働きを主とするものです。

このように考えてくると、過去の経験則の用い方には細心の注意が必要であることが見えてくるはずです。そもそも経験則で説明がつくものとは、相応の前提条件を厳密に規定(再現)できる場合だけだということです。安易な経験則はむしろ見通しを迷わせるものでしかありません。