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短期か長期か、その対照軸を疑ってみる

短期目標と長期目標、いずれの視点を重視すべきかは、悩ましい問題です。アメリカ流の株主志向もあり、短期的結果を追ってしまうことは、現前の評価基準を優先する意味において、当然の帰結ではあります。

「利他の精神」を掲げる企業は多くても、実際の個々の経営判断において、必ずしもそれが実践されていない例は枚挙に暇がありません。達成すべき目標や数字 を前提に意思決定すると、自社の利益をどう確保するかで余裕がなくなり、その事業や事業プロセスが与える社会への影響などへの洞察が抜け落ちてしまいま す。 個人のレベルで共感できるCSVを組織レベルの価値観に変えるには ダイヤモンドオンライン

そもそも短期か長期かという二分論に至ってしまう構造そのものを疑ってみる必要があるように思われます。

異質な二つの志向性から一つを選べと言われれば、どちらかを犠牲にすることもやむを得ないとの発想に至ります。しかし、企業の目指す方向性に180度の隔たりがあるなどということがあるでしょうか。完全一致とはいかずとも、相応に狙いを共有する二つのベクトルの合成は、少なくとも統合によって強化が可能なはずです。それは短期と長期をより分けるのではなく、仕組みとして一つのコンテクストに仕立てていくことを意味します。

ネックとなるのは短期的収益という評価軸です。これも市場原理に従うのであれば、投資してのち、収穫するのが基本ロジックです。収穫があったから投資するのではありません。ゆえに、収穫だけを見て、その是非を判断することは、成長スパイラルを分断する行為につながります。投資と収穫のバランスが、プロセスとして企業の永続的活動を下支えするものです。

また、投資とは、自社に賭けることに限定されません。社会的存在としての企業が、社会の内に立ち位置を確立するためには、社会に向けた投資という視点が求められます。ここでは便宜上「投資」と表現していますが、これは社会というフィールドの通行手形であって、欠かすことのできない最低要件でもあります。