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私たちにつながらないという選択肢はあるのか

つながりやネットワークというキーワードはもはや当然のものであって、何らそこに目新しさはありません。それではつながるべきか、つながらざるべきか、どうやって選別していけばいいのでしょうか。

グローバリゼーションが上げた成果を維持するのであれば、国家は自らが育んだリスクの管理に対して、責任の分担を認めなくてはならない。 これらのリスクは、国民国家という存在を超越している。そのため、効果的な対処には協調的行動が求められる。それぞれの対応内容は、各脅威の性質に適合していなければならない。 グローバリゼーションの脅威に目を向けよ 今のシステムは「国境を越える厄難」に無力 東洋経済オンライン

個人の主体的な参画という意味では、つながるかどうかは意思に基づく選択の問題と理解されるかもしれません。しかし、グローバルなネットワークに絡めとられた現代社会において、もはやつながりとは選択うんぬんではなく、所与と理解されるべきです。

つながりが取捨選択しうるレベルであれば、関連して生じる影響をコントロールすることも可能ですが、自ずとつながってしまう環境下では、コントロール発想にも限界があります。

想定外という言い訳が安易に使われますが、そこには自ら選択した範囲に限ってオペレーションすればよいとの前提が見え隠れします。一方で、ネットワークありきの発想に立つならば、私たちはその一部としての役割を担っているはずです。この場合、己のテトリーをいかに守るかではなく、ネットワークを担う基幹としての自己設定が求められてきます。

「いかにつながるか」という接続の問題から、「つながりの質」を担保する使命へ、自社の役割の拡張が当然のことと理解される時代です。近年のCSVの強調もこの流れに与する議論といえるでしょう。