something eureka

思索のヒント、ブックレビューなどを中心に

2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

自分だけが気づければいいのか

自らの気づきは当然不可欠であるが、それ以上に周りにうまく気づかせてあげられるか、お互いに新たな気づきの次元が作れるかが問われている。 ファシリテーションは、人と人が話し合い、わかり合うための方法です。それは「いま・ここ」で出会った人と人が「…

単なる手段で終わらない

広告は商品を訴求する手段であるが、それを単目的のそれだけのものにとどめるのか、それともより発展性のあるコミュニケーションツールに引き上げるのか。 旧来の広告が飽きられている、むしろ邪魔な存在とすら見なされている現代においては、すでに広告では…

原点は人間らしさに

人間が求めるものは難しいようで実は至極あたりまえの簡単なことなのかもしれない。 むしろ小難しく、それがさも価値があるように虚飾してしまうことで、自ら迷路に迷い込んでいるだけなのかもしれない。 何を付け加えるかではなく、何が要らないか、無駄を…

そこにフィット感はあるか

物事が普及し、広く用いられるということは、それがその社会にとって求められている、フィット感があるということに尽きる。それは進んでいるとか遅れているとか、効率がいいとか悪いとか、そんな単純な基準で割り切れるものではない。 社会生活のパターンと…

下手な効率は野暮な短絡

ネットをはじめとして、物事が効率的であるのを最優先にする風潮は、思考の豊かさを奪っていく。 むしろ「考える」ということは、効率とは真逆の、非常に手間のかかる、いや手間をかけることにこそ意味を見出す行為であるだろう。 杓子定規な効率化は百害あ…

わかった風な事態の裏側

答えを早く知りたい、原因を突き止めて納得したい、こうした思考は人間の習いであって、避けて通ることは難しい。 だからこそ、それこそ「腑に落ちる」ほどのわかりやすい事態には裏があるかもしれないと、一歩引いて見直すことが求められる。 2つの変数の関…

素朴な疑問にきちんと向き合えるか

物事の裏表は実はつながっているのかもしれない。表と思ったものが裏だったり、裏と思ったはずが表だったり。 わかっている(つもりの)ものがじつは理解できていない。「灯台下暗し」、ありふれた表現だが、今なおそれが最大の課題でもあるのだろう。 刺激…

捨てるべきものを抱え、拾うべきものを見逃している現実

われわれが正攻法だと思い定めているものはほんとうにそうなのか。そう思いたいから惰性で決め打ちしているだけではないのか。 フラットに見るといっても実際には難しい。理想は曇りのない眼鏡かもしれないが、実際には少なからず曇りある眼鏡とどう付き合っ…

提供という上から目線では足りない

PRは関係性だと言いつつ、どう提供するかという話に終始するのでは本末転倒。授受というロジックに縛られているうちは、関係性というフラットな結びつきと、そこからの発展的展望は見えない。 つまりは「企業や組織がいかに世の中とうまくやっていくか」とい…

自動化は何をあぶりだすのか

一時期中抜きと称して卸を介在させない直販がもてはやされたが、効率だけを突き詰めるなら、物を買うチャネルとしての小売自体が不要とされる可能性もある。 自動化はわれわれの関与自体を排除していくが、はたしてそれだけでいいのか。人間の注意、関心が希…

今日の一歩に集中する

毎日できることは何か。たいしたことはないその小さな一片が明日を形づくる。 小さな習慣がすばらしいのは、失敗を恐れる必要がなく、罪の意識を感じずにすむこと。たとえ意思の力を使い果たしていても、やるべき課題は本当に小さなものなので、どうにでもや…

課題は無尽蔵

どうしても先行きの不透明さから悲観的なものの見方に慣れすぎてしまっている昨今、逆に考えれば、悲観と楽観は等価であるといえる。ものの捉え方には表裏がある(もしくは立体視できる)のであるから、状況が悪ければ悪いほど良い点が際立つといっていいだ…

思考が先か、検索が先か

予測変換は、確かに手間を省く利便性を提供する一方、われわれの思考を誘導していく性質も兼ね備えている。 「そう、そう」「これ、これ」と予測の精度に納得する前に、それはその他大勢と同じわだちを踏むことでもあると自覚できているか。素朴な無自覚は意…

意思決定を支えるもの

中間層が社会の安定化に寄与しているように、中動態の厚みが組織行動の芯を培うのかもしれない。 意思決定というととかく先鋭化された、切れ味の良い、大胆なものがもてはやされがちであるが、能動でもない受動でもない、中庸な領域に、意思決定を受け、それ…

主観こそが差別化を生む

捉えどころのないものよりも、捉えやすいものから分析され利用されるのが常である。逆に考えれば、そろそろ客観を超えて主観をメインターゲットとする時代になってきたということも言えるだろう。 私たちは数値で示された指標には納得しやすく、信用しやすい…

時代の要請にこたえるには

社名とは事業の中核を象徴するものであり、それが簡単に変わることはない。しかし、道具で何かを達するというよりも、機能をダイレクトに授受する(できる)ようになった昨今、中核だからこそ再定義が必要という事態もありうる。 昨日の端的さは明日の軽薄さ…

待てない現代が陥りやすい罠

情報化は量の豊かさを提供してくれるものの、そのスピード感が、私たちに「待てない」事態を引き起こしている。すなわち、答えがすぐに返ってこないという状況に耐えられなくなっている。 その結果、物事を短絡的に原因と結果で紐づけようとする無意識の圧力…

豊かさのジレンマ

不便であればあるほど、インフラの革新は急速に普及する。ある程度満たされてしまっている日本社会では、かえって盲目的で気づけないことも多い。 日本人ならば「別にそこまでしてスマホで支払わなくてもいいんじゃない?」と思うかもしれないが、それは私た…

知らぬを知ることこそ智

知ったふり、知っているつもり、なんとなく理解している、などなど、知っていることの分量で安心してしまう。しかし、ほんとうに求められているのは「何を知らないか」のほうなのだ。知らないからこそ気づきが得られるのであって、知っていることに慢心して…

見えない殻を打ち破れるか

自らの殻を壊すのも、また自らの殻に閉じこもるのも、自分次第。少なくとも、漫然と殻に覆われるのではなく、自分の殻はどこにあるのか、意識しておく(意識できる)ことが最低限のリテラシー。 この、自分にとって心地よい情報ばかりが目に入る環境をフィル…

大衆が起点となる

大衆=衆愚のように、どうも大衆という表現には、それを卑下するニュアンスが自ずと含まれているように感じられる。 旧メディア側からの視点では、情報化社会によって、大衆が情報発信するようになり、玉石混交、質が低下したと嘆くことが常である。その背景…

コミュニケーションの濃淡を使い分ける

濃密な関係性は信頼度はあるものの、現代においてはやや窮屈でもある。適度な距離感、温度感のつながりがウケているわけで、何をおいてもまずは敷居の低さが行動のきっかけとなる。 選択的コミュニケーションの時代にあっては、それらの濃淡をとらえ、活かす…

緩慢なる進化の強さとは

スピード感が勝負となる現代にあって、変わらないという選択肢はない。その一方で変わりやすさは脆さも内にはらんでいる。変わるか変わらないかの二者択一ではなく、上手に変わるには、時間をかけた習熟が欠かせない。 「生物における進化というものは、私た…

人は間違えるもの

間違えないという過信と、間違えたのなら真摯に改めるという姿勢では、結果が大きく異なる。 前提がずれていては、どんなにいいプランも単なる張りぼて、砂上の楼閣にすぎない。前提を疑い、常日頃から前提の可否を見直す習慣が、信頼を得る行動を醸成する。…

結局着地点があいまいだった

目的と手段が転倒することはよく起こりうる。過度に調和を強調すれば、ダイナミクスがおざなりになる。生きた状態を具現するには、適度な破れも計算のうちに含むことが求められる。 私が言いたいのは、知性と善意を持つ大勢の人々が、時代を画する大問題につ…

端的な指標はわかりやすい分消えやすい

変化が激しいとかまびすしく叫ばれている現代では、どうしても目先の得やすい指標に飛びつきたくなる。もちろん、達成度を測る目安は必要ではあろうが、得やすいものは失いやすいし、得難いものはそれゆえ持続性にもつながる。ほんとうに意味あるものは何な…

凝縮とバランス

「端的に表現する」とは簡単なようで奥が深い。特に日本語の場合、文脈や背景にかかる含意が多分に含まれるため、ただ論理的であればそれでよいとは単純に割り切れない。 表の文面と、裏の意味世界、相互の擦り合わせの妙。想像力が思考をたくましくする。 …

競争に勝利して何が残るのか

力でねじ伏せる、ここで言われる「力」には瞬発力はあっても、持続性はない。競争とは単なる力比べでいいのか。「力」は相手に作用するばかりでなく、自らにも返ってくる諸刃の剣に他ならない。そうであれば、力を振りかざすのではなく、力を使いこなす技巧…

差異をどのように意味づけるのか

ただコスト的に人手をロボットに置き換えたのなら、単なる安っぽさにも捉えられるが、ロボットと触れ合う愉しみとすれば、これまでにない体験に変じる。同じ事象でも、意味付けの仕方によってその評価は180度違ったものにできる。 2015年にハウステンボスに…

思考の偏食に気づいているか

良くも悪くも、私たちの思考は一定のバイアスを持っている。それが個性でもあるわけだが、放っておけば視野はどんどん委縮してしまう。 時として、半ば強制的に、普段なら選択しない情報源に接触すること、そしてあたり前に疑問の余地を与えること、それが自…