something eureka

思索のヒント、ブックレビューなどを中心に

2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧

デフォルトを乗り越えられるか

日本での多様性の議論は一のものを多に広げるという議論になりやすい。人間行動が画一的に捉えられているが故だろう。一方で自然環境が元来「多」であることは存外違和感なく受け入れられている。このことから、必ずしも多様という概念に拒否感があるわけで…

文脈の欠落による情報錯誤

フェイクニュースだけでなく、情報が恣意的にカット&ペーストされる現代では、文脈に係るリテラシーが読み解き精度を左右する。 どうしても印象的なフレーズやいわゆる「ささる」トピック表現が技巧的に追及されがちであるため、週刊誌的なタイトルばかり独…

知っているとはある種の危険信号である

知は得ることではなく、為す(成す)ことである このように位置づけるならば、一般的に情報に精通しているといった意味で使われる、「私は知っている」には大きな欠陥が含まれる。 「知っている」つもりという厄介な意識が、「知らない」ことを知るという思…

潜在領域としてのおもてなし

おもてなしがさも差別化要因であるかのように取り上げられる昨今ではあるが、はたして本当にその位置づけでいいのか。 サービスには顕在化要因と潜在化要因がある。積極的にウリとして打ち出す顕在因子に対して、あくまで黒子として従の役割を果たすのが潜在…

目先の変化に踊らされるな

半ば強迫観念のように変わらねばならないと、変わることを訴える論調をよく耳にする。 もちろん結果として一定の変化が生じるのは必然であろうが、変わること自体を目的化してしまうと、目先に踊らされることにもなりかねない。 いわゆる変わらねばならない…

企業文化は参画度で決まる

文化とは、「自分ごと」であるとの意識と、「本気」でやるとの熱量で決まる。 かっこいいお題目を掲げてやったつもりになるのではなく、まさにそれが自分の問題であって、なおかつ組織がそれを本気で取り組む意思を示してこそ、実現に向けて動き出すものだ。…

onだけでも、offだけでも成立しない

休息を取りさえすれば、勝手に能率が上がり、能力向上につながるわけではない。要は使い方だ。 メリハリと集中。能率的な人は当然に休息の取り方がうまい。onとoffは反比例ですのではなく、比例する。だとすればon同様にoffにも等価な気配りが必要になるとい…

漫然と見ていても、見ていないのと同じ

見るとは人間にとってあたり前の、至極簡単な動作のように思われる。しかし、本当にそれを見ている(見定めている)のかというと心もとない。 見えているつもりというのは、見えていないと明確に認識していること以下の状態といえるだろう。 わかっているつ…

きれいすぎることの功罪

デジタルの0/1の世界では、物事は整然と分け隔てられている。そこから敷衍して、われわれの生活や社会についても、きっちりとした、割り切れるものだと捉えたい願望が、かえって自分たちの目を曇らせているのかもしれない。 要はものごとを分析的に整然と…

真善美による自己基準を持っているか

いわゆる想定外に振り回されがちな現代にあっては、ありものの基準に漫然と従っていること自体がリスクとなる。 客観か主観かの二元論では客観優位な風潮かもしれないが、その客観が機能しないとすれば、それを補いうる主観の鍛錬が欠かせない。 もちろん社…

限界とはネガティブキーワードなのか

刷り込みとは恐ろしいもので、初めからネガティブと捉えてしまえば、それがあたり前になってしまう。 限界だからあきらめるのか、それとも限界があるから乗り越えるのか、意識次第で大きく意味づけは異なる。 さらに限界への対処としても、限界を通常に戻す…

想定内と想定外を使い分けられるか

とかく安定志向や無難な筋書きが非難されがちであるが、要は使い方の問題ではないだろうか。 何でもかんでも発想を飛ばせばいいというものでもないし、収めることばかりでは既定路線を外す思考はできない。 どうしても慣れ親しんだ方法論を良しとする傾向が…

選択自体が苦痛の時代

たくさんの選択肢がありすぎると、人間はかえって選べなくなる、とは心理学的によく言われることではあるが、情報が手軽に取得されるようになった現代では、まさに切実な問題なのかもしれない。 かつては自身の選択こそが自由の象徴ととらえられていたが、今…

経済性と社会性のバランス感覚

経済性と社会性のどちらが優先するかというのは、卵が先か鶏が先かの議論にも通じる。いずれもが組織の存立に欠かせない以上、その優先順位にこだわるというよりも、両立に向けたバランスある目配りができるかどうかが期待される。 その意味では、入り口はフ…