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真善美による自己基準を持っているか

いわゆる想定外に振り回されがちな現代にあっては、ありものの基準に漫然と従っていること自体がリスクとなる。

客観か主観かの二元論では客観優位な風潮かもしれないが、その客観が機能しないとすれば、それを補いうる主観の鍛錬が欠かせない。

もちろん社会のルールを軽視する必要はないが、ルールを待つよりも、自己ルールで先行することが、これからの時代にはアドバンテージとなる。

世界のエリートが必死になって美意識を高めるための取り組みを行っているのは、このような世界において「より高品質の意思決定」を行うために、「主観的な内部のモノサシ」を持つためだというのである。
つまり、「システムの内部にいて、これに最適化しながらも、システムそのものへの懐疑は失わない。そして、システムの有り様に対して発言力や影響力を発揮できるだけの権力を獲得するためにしたたかに動き回りながら、理想的な社会の実現に向けて、システムの改変を試みる。これが現在のエリートに求められている戦略であり、この戦略を実行するためには、「システムを懐疑的に批判するスキル」としての哲学が欠かせない」ということなのである。

情報源: 世界のエリートが「美意識」を鍛える根本理由 | 今週のHONZ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準