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文脈の欠落による情報錯誤

フェイクニュースだけでなく、情報が恣意的にカット&ペーストされる現代では、文脈に係るリテラシーが読み解き精度を左右する。

どうしても印象的なフレーズやいわゆる「ささる」トピック表現が技巧的に追及されがちであるため、週刊誌的なタイトルばかり独り歩きする。

また、我慢できない情報消費のスタイルにより、受け手もどんどん表層ばかりを追いかけていくため、拡散度だけが評価基準となってしまっている。

逆説的に考えるならば、拡散度の高い情報はある程度バイアスが乗っている故だと思って、疑ってかかる必要がある。

もちろん、歪みのない情報などないのかもしれないが、歪みをそれと正しく同定するには、文脈をたどりなおすこと、そして、要素である点を線に、また面に拡張していける構想力が問われることになる。

場所も争点も時代も全く異なる2つの事件が、何の齟齬もなくあたかも1つの問題であるかのように相互にタグ付けされ「短絡」されて語られるという奇妙な事態が生まれている。「関連付け」があまりに早すぎる、そのようなややこしい時代に、ソーシャルメディアの浸透以後、突入してしまっている。ソーシャルメディアは、空間的距離や時差をあっという間に凌駕する「神速」の伝播力をもつだけでなく、本来あった意味の上での差異についても、「関連付けされた」という事実から遡って、無効化してしまう。短絡=ショートカットが頻繁に起こる。

情報源: シリコンバレーこそが「強欲の街」と批判される、アメリカのいま(池田 純一) | 現代ビジネス | 講談社(2/6)