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レビュー:世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 山口周 著

本書は現代における経営の欠陥は美意識の欠如に起因するものとして、ビジネスにおけるアートの意味合いを説く。

時代の転換点にあって、20世紀型の成長モデルと連動した分析的、科学的アプローチには限界が見えてきた。いわゆる「正解」を追い求めるロジックは、評価しやすい反面、誰しもが同じ道をたどっていくことによって、どんどん過当競争に追い込まれていく。まさに差別化とは逆の方向に進んでいってしまうのだ。

アートは、論理的で明快な説明には適さないが、総合的見地からのひらめきともいえる、「これだ」というものを指し示すことに利がある。いわば動物的感覚に近いのかもしれない。

人間の集合体である組織が成果を上げていくにあたっては、ロジック重視の側面と同時に、旗振り役ともいえる、明快な道筋を示してくれる人間を必要としているのだ。

ミンツバーグに倣って、「アート」「サイエンス」「クラフト」の三位一体が経営には欠かせない。これまではアートなしでもなんとか成り立っていたのかもしれないが、サイエンスベースでのアプローチが行き詰まりを見せ始めた今、アートがいっそう強調されることになる。

一方で、アートというとどうしてもスタイリング、見栄えの部分ばかりに焦点があたってしまうという欠点がある。アートとは総括的な概念なので、それをあらかじめ踏まえておかないと、狭小なアート観によって、現実認識をゆがめてしまう危険性がある。

であるから、アートというよりも、世界観やビジョンとして捉える方法が正解なのかもしれない。何人かのアーティストの立場を高めればいいというのとは違う。誰しもがアーティスティックな側面を内包しているはずだし、それをきちんと開放していくべきということだ。

美はお金にならないと安易に切り捨てられてしまうのは古い観念に囚われすぎだ。数字になるものだけに価値があるとのロジカル神話と言っていいだろう。一方で美は、数字の先を見ている。目先の数字の多寡に左右されず、つくり出していこうとする世界のインパクトに焦点がある。それはワクワクするものなのか。ドキドキするものなのか。あーっ!と感嘆をあげられるものなのか、etc.

美を持つということは、自分の中に心棒を打ち立てることと同義だ。これがなければ、外部の規準によりかからざるを得ないし、その規準がもし誤っていれば、自身もその誤りに引きずられることにもなりかねない。

大なるものに右へならえで、たいていの問題に対処しえたわかりやすい時代ならともかく、近年のVUCA環境にあっては、安易に外に依り代を求めることはリスクでしかない。誰かが正解を与えてくれることはない以上、自ら正解と思しきものを作りこんでいくしか道はないのだ。

その際に、古い断定的な、剛たるアプローチではどうしても限界があって、ゆえに、柔たる思考とその基となる確たる心棒を自身の内に涵養できているかどうかが生命線となる。

新書なので、内容は平易で分量も簡単に読み切れるものだろう。もともと現状を懐疑的に見ている向きにはあたり前のことの再確認といえるし、数字に振り回されすぎの、ロジカル一辺倒の人にとっては、盲点だったと腑に落ちることも多いかもしれない。