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思索のヒント、ブックレビューなどを中心に

実態と体裁はシンクロしているか、中身こそが問われている

バイラルをはじめとして、話題性が主題となると、どうしても勘違いしやすくなる。いわゆる盛るという発想もそうだろう。実際がどうかではなく、どう見えるかが最優先されるのだ。

もちろん、見られるという、相手を想定して思考すること自体は悪いことではない。独りよがりなものより、周囲への配慮がそこにあることは、社会的存在としての最低要件だ。しかしそれが現実認識を誤らせるようなら話は別だ。

タイムラインに流れては消えていくコンテンツであれば、いかに注目されるかが生命線なのもわからなくはない。しかし、偽りから共感を得ても、そこに自己満足以上のものがあるのかどうか。

ビジネスにとっても案外、こうした事態は起こりうる。屋台骨がしっかりしているかどうかと、体裁が整っているかは比例するとは限らない。往々にして現前対処的発想では、体裁でごまかしてしまう発想になりやすい。

柱のない構造物は安定感がない。体裁だけを取り繕ったものは、時間の経過に耐えられない。持続性はひとつの根幹指標だ。生き残るものには生き残れるだけの理由がある。逆に、単に生命維持で引き延ばすことだけでは意味がない。

予定調和でない以上、健全な成長や等身大という考え方にはまやかしもふくまれるが、名は体を表すとの言葉通り、そこには一貫性が期待されている。そこに過度なズレが生じていないか、そのズレは前向きな活動を促すためか、それとも一時しのぎにすぎないか、など、一つのインジケーターとして使える観点である。

そもそも、「ビジネスモデル」とは、質の高い「商品(サービス)」があってこその話であって、「コンテンツの質」を担保できないままに、「ビジネスモデル」を考えるのは、まるで中身がないのに包装だけを立派に整えるようなものだ。

情報源: 時代は「マーケティング主義」から「昭和のコンテンツ主義」に突入!「広告」から「拡散」!「広告代理店」から「個人」へ! | 1坪の奇跡 | ダイヤモンド・オンライン