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解決が第一目的でいいのか

われわれは知を高邁なものとして、それを得ることで満足してしまいがちです。しかし知とは生かしてはじめて意味を成すものですから、手に入れただけではまだ何も充足していません。

折しも、時代は所有から行使へと、その主眼を移しつつあります。元来、物的資産に比べて流動性の高い知的領域であれば言わずもがなでしょう。 インテリジェンスある姿とは知的ストックが問われているのではありません。知的資産を有効活用して、いかに為したかが問われるものです。

「知能」とは、「答えの有る問い」に対して、早く正しい答えを見出す能力。 「知性」とは、「答えの無い問い」に対して、その問いを、問い続ける能力。 すなわち、「知性」とは、容易に答えの見つからぬ問いに対して、決して諦めず、その問いを問い続ける能力のことです。 なぜ、高学歴の人物が、深い知性を感じさせないのか? 日経ビジネスオンライン

結果が急かされるビジネス環境では、知というものも即物的に扱われることになります。役に立つかどうかの判断も、短絡的になりがちです。 加えて、解決ベースの働きかけでは、事態を収斂するという意味で、過去に目線が向かいます。一方、問いへの着眼は、今後の展開を模索する、未来に開かれた働きかけです。

開かれているということは、そこに成長進化の余地が見込まれます。自己完結もひとつの着地点ではありますが、それを他者と共有し、討議する中で、新たな気づきを得る。知とは個人的資質というよりも、社会的作用と読み替えることもできます。

開かれている状態は、未完という意味で心もとない感覚かもしれません。しかし、アンバランスであることは悪いことばかりではありません。アンバランスだからこそ、調整という働きが引き出されるともいえるのです。その意味では、盲目的な安定志向はかえって不安定ともいえるのです。