漫然と見ていても、見ていないのと同じ
見るとは人間にとってあたり前の、至極簡単な動作のように思われる。しかし、本当にそれを見ている(見定めている)のかというと心もとない。
見えているつもりというのは、見えていないと明確に認識していること以下の状態といえるだろう。
わかっているつもり、理解したつもり、できるつもりという「つもり」の蓄積が、方向性をゆがめていくことになる。
半端なつもりになる前に、できない、できていないとの前置きありきで見直してみることは無駄ではない。
ただ、“見えるままに描く”という言葉を頭においてジャコメッティの作品を眺めると、“見る”とはどういうことなのかを改めて考えさせられる。 人間は、視覚を最大の情報源として生きていると言われる。一方、目から入ってくる情報はあまりに多く、網膜に映る光景について、どのくらいきちんと細かく把握しているかと言われれば、心もとなくなるのではないだろうか。