目先の変化に踊らされるな
半ば強迫観念のように変わらねばならないと、変わることを訴える論調をよく耳にする。
もちろん結果として一定の変化が生じるのは必然であろうが、変わること自体を目的化してしまうと、目先に踊らされることにもなりかねない。
いわゆる変わらねばならない論は、結局のところ受け身発想なのだ。世の中の流れに追いつけ、追い越せと鼓舞するのは、変化に負けるなという対処療法を導きがちになる。
「変化」というのは状態を表現する事実認定に過ぎないのだから、それをどうこうするというのは、筋を違える危険をはらんでいる。
変化させるか、変化させないかは目的と現実を照らしていく中で都度選択し、また切り替えもありうるものであるから、いくら変化が大事とはいっても、初めから変化ありきとしてしまえば、余地の半分を捨てることにもなりかねない。
変化を強調するのであれば、それと同等に、何を変えないかがより一層問われることになるだろう。
「変わるということが当たり前にならなければいけない」と宮田氏は言う。その国の経済の屋台骨を背負う銀行業。その業態や仕事の中身もまた、「変わらないといけない」と言い切る。