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人が枠を決めるのか、枠が人を決めるのか

いわゆる常識というフレームは、通常意識に上ることもなく、自然となじんでしまっている。それを疑うのは当然に困難を伴うだろう。

人が先か、フレームが先かの議論は問題のすり替えかもしれない。なぜならわれわれがフレームをつくり、同時にそのフレームに従って生きるのだから。

むしろここで問われるべきは、われわれとフレームがどう「呼応」しているかだろう。それを今風に言い換えれば、デザインということになるかもしれない。

「本質」という言い方は、人類の特徴を極めて不完全に言い表すものでしかありません。私たちは、大まかに言って、社会の求めによってあり方を変えるのです。もし社会が私たちに対し多くを求めないのであれば、私たちのできることも少なくなります。このことを考えれば、私たちが作ってきたルールやインセンティブは、その設計者の目的にかなう人々の行動を導き出すために設けられたものだと知っておく必要があります。
我々が「人間の本質とは何か?」という問いを立てる時、そこには人間の本質というものが、どこかに一義的に存在するはずだという暗黙の前提がある。しかしながら、この「人間の本質」というもの自体が、かなりの程度、人間のデザインの産物なのである。

情報源: 人は「インセンティブ」のためだけに働くのではない HONZ特選本『なぜ働くのか (TEDブックス) 』 | JBpress(日本ビジネスプレス)