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課題設定といった場合の『設定』が意図するものとは何か

目的性が明快なものに実直に取り組んでいくことは、比較的方法論が確立されていますが、目的性自体を定義するとなると、格段に難易度が向上します。

今の時代、求められているのは「課題設定型リーダーシップ」です。日本はこれまで世界が設定した課題をしっかりと解決してきた国ですが、他に先駆けて課題を設定して、世界をリードしてきた経験はないのです。 横山禎徳氏(前編)~教養とは何なのか?求められているのは課題設定型リーダーシップ~ ハフィントンポストJP

近年の日本は、自虐的意味合いも含めて課題先進国などと言われることも多いですが、山積する課題を大枠で捉えることと、自らが焦点を当てる課題をピンポイントで描き出すことは次元の異なる問題です。

一般に世間に認知された課題に取り組むことは、必然的に事後対応、リカバリー的な性質のものにならざるを得ません。一方、自ら課題設定を行うということは、既知のものではなく未知のものを扱います。いまだ明確に課題とは認識されていない潜在的な領域に切り込んでいき、意図を持って顕在化を図ることを意味します。

言い方を変えるならば、予め課題というものがあって、それを埋もれた砂山の中から掘り出すというイメージではないということです。通例であれば特段課題とは見なされないものの中に、新たに課題に相当するものを組み合わせて作り出すということです。

もっと言うならば、従来は「課題」があってそれに対する「解決」があるという対応関係でしたが、ここでの課題設定とは、解決への道筋を含めての課題という認識になります。また、解決といった完成形が用意されているわけではなく、むしろ解決し続けるという意味で継続的プロセスとも読み替えられます。

このように、課題設定といった場合、従来の問題解決を上流に巻き戻せばよいという単純な視点の移動で済まない面があるということです。課題設定のように『設定』という新機軸を含むということは、ロジック事態の変更を含んでいるということに格別の留意が必要です。