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イノベーション幻想の先に何を見るのか

私見ですが、そろそろイノベーションという表現から卒業すべき頃合いではないかと考えています。なぜなら、イノベーションという表現が乱暴に使われてきた結果、「何となく現状を打破してくれそうな良さそうなもの」というふわふわした感覚が拭いきれないからです。

ゆるい対象認識は、あながち否定できない、否定しようがないためにかえって性悪なものとなりかねません。雰囲気だけで、何だか取り組んでいるような錯覚を覚えさせるものです。

イノベーション=発明 × 商業化 イノベーションは「発明と商業化の総計」というより、提供される製品やサービスそのものの変革を指すと考えています。発明だけ(商業化=0)でも、あるいは商業化(発明=0)でも、イノベーションは成立しないからです。 発明を商業化する能力こそが、真のイノベーションには欠かせない、ということです。つまり、起業家の主な役割は「商業化の媒介」なのです。 MIT式起業のレッスンで教えるイノベーションの定義とは? ダイヤモンドオンライン

ゴールが変化してきたことが、古いイノベーション発想を陳腐化させてきていることも事実です。従来は売り切りモデルで、何でも製品という枠内に込めるのが一般的でした。それが技術的優位への過剰な信奉を生んできたとも言えます。

一方で、現代は売り切りという発想が通用しなくなっています。いろいろな意味でつながりやすくなったこともあり、顧客との関係性は終わりなきもの、永続的なプロセスへと変化してきました。また、明確に主客が区分されるというよりも、プロシューマーに代表されるようにその境界はあいまいなものとなっています。

こうなってくると、イノベーションという独立した対象を想定するのは困難です。あえて類比的に言い換えるなら、イノベーテッドな状態が継続するといった感じでしょうか。

イノベーションなきところにイノベーションを注入するというのが従来的発想とするならば、現代的には、イノベーテッドな環境要件を前提に、そこで何を提起し、いかに「つながり」という関係性を発展させるのか、が問われているのです。