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多様性の意味合いが変わってきた

完全なる同質性や完全なる異質性というものは幻想なのかもしれません。

二分論ではわかりやすさ優先で、同質か異質かを対置しますが、現実には共通項と差異が混在しながらそれぞれの特徴が構成されるといっていいでしょう。仮にまったく接点のないもの同士であれば、会話も比較も成立しないということになります。その意味で適度な共通項を足がかりに、お互いの差異を認め合うことができるわけで、同質性と異質性は水と油ではないということです。

かつての自己フリーダムは、集団からの分化によりもたらされたものだった。しかし人と違うことへの追求は、“特別”の奪い合いのさなかで細分化し、われわ れを集団から孤立させてしまった。逆にノームコアは、自分が特別であるという思想を捨て去ることである種のフリーダムを得る。 変哲のない平凡なスタイルこそが、他人との同一性による接点を生みだし、マス・インディには欠けていた親密な関係が生まれる。デジタル時代におけるアイデ ンティティクライシスからの解放は、外見の違いを追求するのをやめることで達成されつつある。個性の主張を外側から内側に向けるムーヴメントがノームコア と呼べるのかもしれない。 「ノームコア」が本当に意味するもの WIRED

21世紀はつながりの時代です。それはつながりやすくなったという意味でもあり、またつながりが一層難しくなったと解釈することもできます。ネットとリアルの対比でいえば、ネットのつながりやすさが拡大する一方で、リアルのつながりが遠く感じられることも少なくありません。一方で、ネットのつながりがリアルにも波及するという流れで、つながりを膨らませることも可能です。

つながることの意味は、互いの差異を尊重しつつ、共通のテーブルを囲むことを通じて新たな気づきを得ることにあります。ネットは同質性を過度に促進するといわれますが、同質と異質のバランスが崩れるとつながりがもつ効用が毀損されることになります。

人間は安きに流れがちなため、表面的な同調や表面的な差異で取り繕おうとするインセンティブが働きますが、ノームコアはこれとは異なる潮流です。内からにじみ出てくる差異で勝負するならば、表面は無駄をそぎ落としたシンプルな意味付けで十分だということです。

多様性の議論では、どうしても形態的な視覚情報に偏重するきらいがありますが、個々人はそもそも多様な存在であることに改めて気づかせてくれるきっかけとして、ノームコアの潮流の意義を解釈することができます。

「おなじ」と「ちがう」には同等の意味合いがある、これがノームコアの背景です。