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論理的、合理的がいつも正しいとは限らない

過剰適応という表現がありますが、合理性についても同じことがあてはまるようです。合理的とは非常に理知的性質を示すものであって、何ら否定される要因ではありません。しかし、すべてを計算し尽くした(かのような)態度は、ネガティブな面を惹起することも事実です。

合理的であることは、見方によっては不合理かもしれない、 こうした姿勢を持てるかどうか、こうした余地を織り込めるかどうかが成否を分けるポイントです。

リーマンショックを引き合いに出すまでもなく、ロジカルシンキングに長けた人が集まる巨大企業で、なぜかくも未曾有の失態が続くのか。それは論理的な人ほど、「合目的的判断の落とし穴」に嵌まる可能性は高いためだ。 関心相関的観点を知ることにより、合理的であるゆえに嵌まりやすい落とし穴があることを論理的に理解できる。どんなに優秀な人間であっても、関心外のことに対して、致命的な見落としをする可能性は常にある。 優れた経営者は、“理外の理”というものがあることを直感的に理解している。そのため、ビジョンや方針の共有、浸透といったものをしっかりと行いつつも、 「例外を認める」「遊び心を持つ」「ほどほどにする」「とき一見無駄と思えることもすること」といったことも実践していることだろう。 イノベーションのジレンマを乗り超えるための「哲学」とは? ほんとうの「哲学」に基づく組織行動入門 ダイヤモンドオンライン

ものごとの妥当性は、前提条件との相関、バランスにおいて判断されるものです。それゆえ、究極的な正しさといったものを仮借しようとすると、思った以上の弊害を招きかねません。

人間は対話する動物ですが、ビジネスも情況との対話であると読み替えることができます。

サイモンが限定合理性という言い回しを用いていますが、合理性を使いこなすには細心の配慮を要すると肝にめいじておく必要があります。どうみても明らかに合理的だという結論に達したならば、むしろ疑ってかかるほうがいいのかもしれません。