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普通であることに意味はあるのか?

ありふれた表現ではありますが、普通とは何でしょうか。 どういった状態を指して普通とみなせるのでしょうか。 あまりに当然すぎる話で、かえって説明することは困難かもしれません。

ノームコアとは、「ノーマル」と「ハードコア」を合わせた造語だ。派手なファッションに背を向け、着心地がよく、カジュアルでシンプル、質素であることを 追求する。人との違いよりも、人と同じであるという「同一性」をよしとし、「究極の普通」であることを楽しむスタイルだ。 共同体の中で自分よりも「まず個人ありき」の現代にあって、人は孤立しがちだ。「排他性」を捨て「順応性」を取り入れ、人とのつながりを大切にする姿勢ーーそれがノームコアだ ノームコアは現状へのアンチテーゼではない。着こなしで差異化を図るという概念を知る前、つまり子供時代の「ブランクスレート(白紙状態)でオープンマインド」の自分に戻り、「人と共存することを目的としたスタイル」だ。 「ノームコア」で行こう!気張った服はダサい お手本はジョブズやザッカーバーグ 東洋経済オンライン

いわゆる付加価値だったり、独自性、差別化だったりと、競争概念の中では、他者といかに違うかに焦点が置かれてきました。差別化戦略というやつです。相対的に優位を競うような場面においては、いたってシンプルな対処法だと言っていいかと思います。

これに対して、『普通』であることが戦略になるかと問われれば、そうではないかもしれません。少なくとも競争戦略という意味合いからすれば、競ったり戦ったりという方法で具現するのとは相いれない志向性のものです。どちらかといえば、自らのあり様を規定していくポリシーに近いものかもしれません。しかし、普通ということを自社の普遍的な根幹という意味で確立することができれば、そこを基本軸に次の戦略的展開が可能になります。その意味では戦略に先んじる領域、ベースとなるスタンスの問題と位置付けられるでしょう。

究極の差別化とか、究極の普遍化となると、0か100かとなってしまいかえって融通の利かない状態となってしまいます。その意味では、何を差別化し、何を普遍化するのか、双方のオペレーションバランスが問われることになります。このことから、自社のオリジナリティを発揮していく上で、差異と同等に普通というエッセンスがカギを握っているといえます。