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同調は卑下すべきことなのか

空気を読む、人の顔色を読むというと、主体性のない、ネガティブなものと捉えられがちであるが、要は使い方の問題だといえよう。

確かに無自覚に周りの情報に振り回されるのは好ましいことではないが、共通の話題としての最低ラインを押さえておく、文化レベルを下支えするという意味では、共通の嗜好にも相応の意味がある。

つまり、それはあくまで最低限の共通認識を形成するということであって、そこから各々がいかに咀嚼し、深堀していくかが問われることになる。共通項に安心して、それでお終いではなく、問題を共有してそこから始めるという位置づけができるかどうかにかかっているのだ。

「世間」が好むコンテンツを自分も「嗜んで」おくことが、すなわち多くの日本人にとっての社会性です。職場や学校、友達同士のコミュニティ内で「流行って」いるものを、とりあえず自分も嗜んでおかないと、その輪に入れない。皆が知っていること、体験したことを自分もしていないと、恥をかく。集団と共感できない。疎外される(気がする)。日本人はそういう無言の同調圧力と常に戦っています。

情報源: なぜ日本人は年1本に『関ヶ原』を選ぶか | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online