something eureka

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バスワードの罠にもっと自覚的になれ

システムとは複雑性の縮減とよく言い現わされるが、ほんとうに縮減などできるのか。

厳密にいえば、全体視のために細部は捨象して、さもそれらしい本筋のみを語るというところだろう。もちろん選択と集中のように、焦点を絞ることに相応の意義はあるとしても、それ以外を捨てていいかどうかはまた別の話である。

縮減は濃縮というよりも選抜に近いのではないか。だとすれば、違うあり様が常に想定されるわけで、そこへの配慮を欠いたとき、現実認識を見誤ることになる。

いいとこ取りができた気になっているとすれば、それは危険信号だ。とりあえず今はわきに置いておく、選択から漏れた「それ以外」に、実は真理が隠されている可能性は排除できない。むしろ雑なものにこそ、現実の機微が宿っていることを忘れてはならない。

企業が営むビジネスの複雑性を、一つのモデル、つまり雛型に還元してしまおうとする言葉は、さらにその雛形を未来に当てはめれば、将来のキャッシュフローさえ予測できるかのような仕草を見せる。日常の複雑性を征圧し、未来の不確実性を排除しようとする言葉の不遜に、薄気味悪さを感じるのだ。
ビジネスモデルという言葉は、何か賢いことを言っているかのような万能感をもたらす麻薬として脳に作用する。

情報源: 「ビジネスモデル」という言葉がはらむ圧倒的な胡散臭さ(寺田 悠馬) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)