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フィジカルからリレーショナルへ

インテリジェンスは単体で捉えられるものか、それとも関係性をまとった状態関数なのでしょうか。 また、それは分析という手法で特定、精緻できるものでしょうか、それとも統合化が必要でしょうか。

インテリジェンスが量よりも質に左右されるならば、「モノ」的な特定の事象、情報に着眼するのではなく、それらを縦横に結び付ける相互の結節力とその連なり・シナリオに注視する必要があります。

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客観、中立、普遍性といった立場からは、情報をいかに正確に、純粋に位置づけるかを追い求めがちです。確かに純粋な意味で事実関係をありのままに示すことに一定の価値は認められます。 ただし、情報をインテリジェンスの立場から再定義する場合、そこには行間に存在する人間意思、社会意思の投影を抜きに語ることはできません。

インテリジェンスが扱う情報は無色ではなく、有色なのです。

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逆に情報の側から考えたとき、情報価値を高めるとはどういうことでしょうか。 ただやみくもに情報量を追い求め、すべてを網羅すれば事足りるかというと、そんな単純なものではないでしょう。 たとえば、辞書は単語という情報を網羅していますが、パーツとしての単語以上にインテリジェンスということはありません。

インテリジェンスの実践性を念頭に置くならば、言葉が通じてはじめて機能を発現するのと同様に、情報を媒介としつつも、つながる、つなげるという点に意識を向けることがカギとなります。

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情報技術の進展を契機として、ネットワーク化の進展はあらゆる分野で進んでいます。 もちろん社会はもともとネットワーク的ですし、特段それがもの珍しい特徴ではありません。

逆に、インテリジェンスこそがネットワークを媒介する結節子(機能)だと定義づけるならば、今まさにその舞台が整ってきている時代でもありますし、この機を活かしてネットワークの意味を再考するチャンスでもあります。 このように、インテリジェンスがフィジカル性からリレーショナル性へその着眼を移行させるのは、起こるべくして起こってきた流れといっていいでしょう。

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