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戦略的模倣

イメージの罠 模倣や諜報(インテリジェンス)と聞くと、どうしてもネガティブなものを想像してしまいがちです。もちろんそうした文脈で使われることが多いのも事実です が、特定のイメージに縛られることは、自ら視野を狭くしていきます。無自覚な前提の怖さは、まさにその無自覚なところにあるといっていいでしょう。

フラットな眼で見るならば、現実問題として、自己存立にかかわる重要な情報を鋭意収集、取得することは当然のことですし、シビアなビジネス環境にあっては、ある種のしたたかさも欠くことのできないものです。 また、創造とはゼロから導くものであるかのような印象を与えがちですが、実際のところ、無から有を生むことは甚だ困難です。まずは基本となる型を身に付 け、その上に個々の独自性を開花させていくというクリエイティブの常道からすれば、一概に模倣を否定することはできません。

むろん、ルールを無視していいわけではないですし、使い方によって、良い面、悪い面が生じることを踏まえた上で、適切なアプローチを選択することが基本です。 残念ながら、用語自体にバイアスがかかっていると、適正な評価が損なわれますので、フラットさを強調するには意識的な言い換えも必要かもしれません。たと えば、模倣は「倣い」であり、「習い」へと変換されますし、諜報は「報せ」であり、「識らせ」と読み替えることも可能です。

一般に知識や能力といった問題では、自分という主体性が強く前に出てくることは避けられません。経営となればなおさらでしょう。一方でわれわれは多くのス テークホルダーに囲まれており、単独で存立しているわけではありません。その意味では、周囲からの影響を必然的に受けるネットワークの下で、上手に関係を 御していくことが求められます。

関係を御するなどといっては、さも自分にコントロール権限があるかの言い回しに聞こえますので、関係と伍するくらいが適当な距離感かもしれません。関係の 波に乗るという意味では、意識的に関係の側(他者)に身を委ねることも必要であるし、外から必要なものを移植するような融通性も求められます。

関係の重視をうたいながら、必ずしも相手方の了解を得ることなく事が進められるあたりに、模倣やインテリジェンスにネガティブなイメージがつきまとうわけ ですが、イコール不法行為の容認の意味ではありません。むしろ一般にオープンな情報を適宜組み合わせることで、有意なシナリオを紡ぎ出すことも可能です し、関係を活かすことこそ、ICTの発展とともに顕在化してきた時代潮流でもあります。

情報と旧来の物財では基本となるロジックが異なります。情報とは共有することが価値が高まるものである点で、あらかじめ人為的、関係的なものとして読み解くことが欠かせません。 もちろん情報の管理は重要ですし、何を開示し、何を秘匿するかの線引きも必要です。しかし、情報はオープンにすることでより力を増す点に留意するならば、囲い込むのとは真逆の管理にも目を向ける必要があります。

ここでいう模倣は、戦略的である以上、成果に結びつく核心を捉えることに重きが置かれます。どうしても模倣というとわかりやすさ、見栄えといった印象的な表層で理解されがちですが、まねることと学ぶことは違います。外面だけをなぞっただけではただの偽物に過ぎません。 戦略的模倣は思考力が問われるものです。外からの刺激をヒントに、自身に内面化し、さらに自身のオリジナリティを発揮する、創造的活動にリンケージしていることが前提となります。

借り物の戦略ではビジネスにならないように、模倣はあくまでも契機であって、結論ではありません。出発点は外部にあっても、それを取り入れ、自身のものとして十分に咀嚼、体現してはじめて、模倣は戦略的活動の一部となります。