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チームとコラボレーションの関係性

コラボレーションとインタラクションは類似のものと理解されているかもしれません。ここではそれぞれを特徴づけて分類していきますので、別途『インタラクション』も参照してみてください。

コラボレーションは、同一の目的に向けて一致協力する姿というのが基本にあります。原理上、二人以上の人間が集まればコラボレーションは成立するわけで、個人レベルから数千人の大企業まで、さまざまなコラボレーションの形があると言えるでしょう。

ここではイメージを明確にするために、コラボレーションする集合体を「チーム」として捉えていきます。 チームと組織は一緒ではないか、という印象があるかもしれませんので、組織を外から与えられた枠組みとして、チームを自発的に参画する共同体として区分しておきます。本来は組織=チームであることが望ましいのですが、実際にはある程度の線引きがなされ、使い分けられているのが実情といえるでしょう。言い方を変えるならば、組織は構造的な理解であって、チームは機能的な理解とも分けられます。コーポレートとコラボレートの違いはこの辺にも表れています。

コラボレーションにおいては、参加者各人の目的性、志向性が十分にシンクロしているか、が大前提となります。 そのうえで、協働の中から、個人の気づきを超えた、チームとしての新たな気づきを導いていきます。これだけでも相応の意義はありますが、発想段階に留めては、コラボレーションとして不完全です。協働である以上、実行力や具現力を高めることが本筋ですので、旧来の分掌の枠を意識的に乗り越えることが求められます。

チームのもう一つの特徴は、内にも外にもネットワークの広がりを持つという点にあります。よく使われる表現ですと、内部環境と外部環境といったとらえられ方でもあります。 前者では、多様な個々人の集合体がチームですが、後者ではまとまってあたかも一つの個体のようにふるまうものがチームという理解です。 相反する二つの特性を内に秘めているという意味で、チームという理解は多くの示唆を与えてくれるはずです。

しかしながら、形としての組織に比べてチームはなかなか実現が難しいものです。これは個人が過度に強調されるようになったこととも無関係ではないでしょう。成果主義などとも関連して、矮小化された唯我独尊を追い求める姿勢が、コラボレーションを阻害します。チームあってこその自分という目線にいま一度立ち返る必要があります。

この辺のことは、競争というものの理解にも関連してきます。別途『競争からキョウソウへ』のところでも触れていますが、現代の競争環境は、一昔前の単純な、ライバルに勝つか負けるかだけで判じることはできません。だからこそ、ベクトルの重ね合わせともいえるコラボレーションが問われているのです。

幸いなことに、近年のネットワーク社会の到来は、こうした関係性への気づきを容易なものとしてくれます。コラボレーションの機会は絶対的に増えていると いっていいでしょう。ただし、関係性の強みであり弱点はその流動性にあります。極端な議論では、チームさえ適宜作れば組織など必要ないといった言説もあり ますが、本来チーム=組織であることが理想と言えます。チームなのか、組織なのかという二者択一の論理は少々乱暴なものといえるでしょう。

このように見てくると、コラボレーションもマネジメントにおける一つの重要な機能ではありますが、それ単独で最適化しようとすると、認識を誤る可能性があ ります。コラボレーション自体を否定する必要ありませんが、コラボレーションが万能でないこともまた頭の片隅に置いておく必要があります。