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不確実なのはラッキーなことである

不確実というと、『不』が示す通り、一般にはネガティブなワードに分類されますが、ほんとうにそう言い切れるでしょうか。下記にもある通り、不確実だからこそ、経営や意思決定ということに取り組む意義が見出されるという見方も可能なはずです。

近代に移行するにつれて、決定への依存性、したがって未来に注意を向ける価値が増大してきている。かつては生活の過程の中で多かれ少なかれおのずから生起していたものの多くが、今や決定としてなされるべきだと要求されるようになっている―またこれは選択可能性の増大を背景にしており、それゆえ、〔選択肢の数が多いほど、つまり不確実性が高いほど選択の情報としての価値が高まるので〕より高い情報価値を伴うかたちで進む。 リスクの社会学 二クラス・ルーマン

確実/不確実という線引きは一見すると中立的な線引きかもしれませんが、実際の現実がそのとおり中立的かどうかは、また別の問題です。われわれの生活場におけるデフォルトは「不確実ありき」であって、波風の立たない好ましい安定などという想定のほうがむしろ稀な理想(仮想)状態といえるかもしれません。

安定にばかり目をとられると、不確実なものを安定にするという、微妙にずれた目的設定を行ってしまう可能性があります。未来が持っている不確実さとは切っても切り離せないとの前提に立てば、安易な安定化を目指すことが正解なのではなく、不確実さを受容する(できる)懐が問われていると言い換えることもできます。

不確実さをはなからネガティブに捉えるこれまでの慣習に抗って、不確実に比例して自らが意思決定するに足る舞台が拡大すると肯定的に受け止めることで、新たな視野が開けてくるはずです。