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創造の罠

何か新しいものを見出そうとして意図的に創造するのか、それとも思ってもみなかった事態に際して窮余の策として創造せざるを得ないのか、このふたつには認識に大きな隔たりがあります。

人間はとかく自らのコントロールによる帰結を善しとする傾向があるため、前者であることを理想とするのかもしれません。しかし、現実にはむしろ後者のほうがインスピレーションを得やすい状況として分があるといえるでしょう。

創造性は、いつも思いがけないときに出てくるものだ。つまり、私たちは初めから自分の創造性を当てにすることはできないし、実際に創造性が出てくるまで、その存在を信じることもできない。…私たちが自らの創造性を存分に発揮する唯一の方法は、始める前の段階で、仕事の質を実際よりも簡単だと見誤ることであり、創造性を発揮する必要もない、お決まりの手順でできるものだと思いこむことなのだ。 知の巨人に「非常識の発想」を学ぶ クーリエジャポン 6/2015

相変わらずメディアでは「創造性」や「イノベーション」といったワードが称揚されていますが、漫然と賛美する傾向には注意が必要です。

もちろん、人間の本来持っているそうした能力を卑下する必要など毛頭ありませんが、実際に具現する意味においては、バズワードに振り回されることはマイナスでしかありません。

良い意味での楽観主義で、現実に前向きに取り組んでいくなかで、思わぬ障害があったとき、それを回避するためのブレークスルーとして気づきが得られることを、上記引用は教えています。

つまり、創造しようとして創造しているのではなく、真摯に現実に向き合った結果創造しちゃったとでもいいうる事態です。ここに、創造を目的と掲げてしまうことの危うさが象徴されているように思います。

組織の目的やスローガンを見直してみて、もし「創造」などという表現が安易に使われているとしたら、むしろそれを危険信号として自戒的に受け止めるほうがいいのかもしれません。