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最適がほんとうのゴールなのか?

最適化というのも、ビジネスにおいてよく用いられる表現の一つですが、これも曲者といっていいかもしれません。これはやはり効率性と連動した概念といっていいかと思います。

ある特定の枠組み内においては機能を発揮する考え方ですが、枠組みそのものが問われたり、また枠組み自体が変化した場合には、それこそ適応が困難となります。これは部分でなく全体を最適化すればいいというスケールの話ではありません。

現代社会では最適解を求められる局面がたくさんあります。より早く、より安く。それに対する答えはコンピュータにまかせてもいい。でも生物学的なあり方は 違います。最適解を選ぶのではなく、“物語”をつくる能力が要求されます。それが人間を人間たらしめているわけで、いくらデジタルが進化しても、人間が人 間としての存在意義を失うことはないと思います。 小川和也×福岡伸一 【前編】 「いくらデジタルが進化しても、人間が人間としての存在意義を失うことはない」 現代ビジネス

適応というものは、基本的に外部条件に合わせて後付け的に検討されるものという制約を逃れるものではありません。それでもほどほどの変化スピードであれば、適応ないし即応ということも可能ではあります。

しかし、競争のロジックそのものが変容し、またダイナミックに変容し続けるという場面においては、適応が持つタイムラグが致命傷になることもあります。また、正解がない問題において最適を求めることは、問題自体を取り違えていることをも意味します。

コミュニケーションをつくすという意味合いにおいて、双方向性を担保する、ある種<適応>を通じた相の手を繰り出すことは当然欠かせませんが、適、不適を追い求める以前の問題として、次なる課題を見出していく<播種>、トリガーが一層問われています。

整えるというとやや語弊があるかもしれませんが、出口を整えるのが適応、最適であって、入口を整えるのがひとつにはデザインというものかもしれません。