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終わりなきプロセスには相応の意味がある

一見矛盾するようなことですが、ものごとを突き詰めれば突き詰めるほど、次なる課題に気づいてしまうことがよくあります。線形の問題認識に絡め取られてしまっていると、問いに対する答えという一対一の相関があたり前だと考えてしまいがちです。しかし、そうしたわかりやすい形式で捉えられる世界とは非常に限定されたケースだということを今一度認識しておくといいかもしれません。 

確かに毎日研究していると必ず新しいことがわかります。しかしそのときの「わかる」は、向こう側にもっと大きな「わからない」をつくる「わかる」なんです。本当に科学ってわかればわかるほど、わからないことが増えるんです。 世の中では、科学はすべてを理解し、答えるものと思われていますけれど、そうではない。答えのない、いつもなぜ、なぜ、なぜと問うているのが科学であって、それがなくなったら科学は終わります。 「わかる」と「納得する」には、大きな差がある 「生き物感覚」を失うことの恐ろしさ 東洋経済オンライン

経営課題は定式化できないことが多いため、どうもわかりにくいという印象があるかもしれません。しかし、わかりにくいという状態がデフォルトであるとわかる(理解する)ことに意味があります。わかりにくいものをわかりやすくするという解法ばかりではないということです。

自分の行動は解決の積み重ねなのか、それとも問いの積み重ねなのか、このふたつには大きな違いがあります。前者は一つ一つのタームを処理し終了させることに重きを置いていて、達成感が得られるメリットがありますが、事象を細分化していくために視野が限定されるという副作用があります。

一方後者は、終わりなきプロセスというつかみどころのなさというデメリットがあるものの、進化向上に開かれた探求視点に意義が認められます。ものごとに向き合う際には、このふたつの捉え方を適材適所に用いられるかが問われています。

経営のわかりずらさというものは主にこの後者の視点に起因するものですが、その特徴を掘り下げてみれば、決して忌避すべき性質ではないことは明らかです。結果ばかりを追いかけるよりも、こうした「問い」が生み出す可能性にも目を配ってはどうでしょう。