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ビッグデータとインテリジェンス

インテリジェンスの考え方の基本には、情報を征するものが世界を征するといった発想が連綿と続いているように思われます。これは言い換えれば、情報が貴重 資源であって、それを専有できるかどうかで勝負が決まるということです。しかし、ビッグデータへのアクセス技術が整ってきたことで、この前提は崩れ去ろう としています。

もともと情報とは一般の物財とは異なるものでした。占有や償却されるものではありませんし、むしろ共有し、伝え、流通することで価値が高められるもので す。ただ、伝達に関連する障壁が大きかった時代には、他の物財のように所有することに力点が置かれていたにすぎないのです。

しかし、現代は情報がむしろ溢れるようになってきました。取得に係るハードルは相当低くなってきたといっていいでしょう。そうなると、情報の本来の性質に目を向けざるを得ないということになります。 情報をいかに取り扱うかという問題を中心に扱ってきたインテリジェンスという領域は、この影響を最も大きく受けるはずです。これまで前提としてきたロジックが変質してしまったからに他なりません。

これまでのように、インテリジェンスが情報をコントロールすることで主導権を確立してきた時代は終わりを迎えました。これからの情報はコントロールでは対 処できません。ある意味で、情報自体が主導権をもってきたと言い換えることもできるでしょう。われわれが情報からPULLする前に、情報の側がわれわれに PUSHしてくるような事態です。

ビッグデータの時代にあっては、情報の側がわれわれの思考に先んじているという事実に真摯に向き合う必要があります。これまでのように、情報をいかに征するか、いかに使いこなすかといった発想では、もはや時代遅れになっているのです。

このロジックの転換は思いのほか影響の大きなものです。インテリジェンス思考を拡張するということでは対応できないかもしれません。むしろこれまでのインテリジェンスから脱却し、まったく別のアプローチとして位置づけ直すべき状況にあります。