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ビッグデータと技術志向

科学と技術の関係については、20世紀の科学の進展が、科学に基づく技術という思考を確たるもの、ゆるぎなきものにした感があります。

いまでこそ、科学技術とも称されるように、科学と技術が連動している、科学をベースに技術が体系だてられることがあたり前のように捉えられていますが、少し前の時代を振り返ってみれば、必ずしもこれは当然のことではありませんでした。

むしろ当座の必要性から技術が確立されていき、後の時代にその根拠となる科学的裏付けが為されてきたのです。つまり科学と技術は目的を異にする別種の活動ですので、これを一蓮托生に見るということは、相当に荒っぽい把握の仕方でもあるのです。

しかし、科学的知見の充実が、物事を科学的論理に基づいて捉えることを当たり前のものとしてきました。その果実を考えれば当然の帰結かもしれません。

しかし、ビッグデータの存在はいま一度技術志向の復権を意味しているように思われます。ビッグデータとは科学的に組み立てられたものではありません。むし ろそれとは関係なく、厳然と世の中に存在するものなのです。われわれがすべての物事を意識的に選択しているとは限らないように、世の中を構成する雑多なも のは、すべて起源や根拠がたどれるとは限りません。むしろ雑多なことに意味があるともいえるものです。

こうした事実に向き合うには、科学よりも技術のほうが適しています。なぜそうなのかではなく、いかに処するかを基本原理としているからです。科学万能の社会にあっては、人間や社会といったセンシティブな領域も科学的にすべて究明しうるという思い込みがあるかもしれません。

しかし、ビッグデータの世界は、根拠よりも先に事実をわれわれに突きつけてくるものです。正しいか否かではなく、すでにそうなっているということです。 これは、技術復権の旗印かもしれません。技術が科学に先行する領域、それがビッグデータなのです。

これは日本のものづくりマインドと親和性の高い考え方ではないでしょうか。もちろん実際にビッグデータが何かを製造するわけではありませんが、これをこと づくりと捉えるならば、根底に掲げる志向性はものづくりと共通すると思われます。ビッグデータの活用とは、このように科学志向ではなく技術志向で突き詰め ていく領域と捉えられます。