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リアルだからこそできること

極限的な利便性や効率性において、リアルはネットにかなわない。そこでは機械的処理を基本とするため、人間の関与は無駄な遠回りにすぎないのだ。これとは対極的に、人間関与の意味を問うならば、ネットにはできないこと、ネットとは異なる働きに着眼しない限り、リアルがリアルたる存在感を示すことは難しい。

これまでは経済効率一辺倒でリアルもある程度まで構築されてきたが、その行き着いた先がネットでもあるわけだ。つまり、今更ネットと同列で競争しても始まらない。むしろネットでは必ずしも満たしきれないからこそ、リアルで手間暇をかけてやることの意味が出てくるのではないか。

では、その効率以外の何かとはなんだろうか。

目的を達するのに最短経路で結果を結ぶだけがベストとは限らない。むしろ行きつ戻りつ、試行錯誤する中に面白みが含まれていることがある。また、意外な回り道が、想定外の気づきを与えてくれるかもしれない。

効率ではプロセスは最小化されるが、探索発見にはプロセスは最大化されたほうがいい。リアルとはそうした、一見すると無駄と思われるものを含めて猥雑なものだ。きれいすぎる整然とした区画には面白みがない。

一見意味がないものにこそ、意味がある。いやむしろ、意味がないことが隠された意味なのかもしれない。割り切れるもののほうがすっきりはしているかもしれないが、割り切れないものには含蓄がある。冗長性は人間らしさの原則かもしれない。無駄は機械には不得手だ。効率的には無駄だとしても、その無駄が明日の孵卵器になる。

小売業の破壊的変化は、そのままリアル店舗の危機を意味するのではない。ハイテクとハイタッチ(人間的触れ合い)を、いかにうまく融合させるかが店舗に問われている。

情報源: ハイテクとハイタッチの融合がカギ:トイザらスが破綻しても、リアル店舗は生き続ける | HBR.ORG翻訳マネジメント記事|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー