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レビュー:人口減少社会の未来学 内田樹編

オムニバスなので、得心できるものもそうでないものもいろいろだが、そうした点も含め、事実を立体視するのには必要な迂遠なのだろう。

個人的に印象に残った点は、市場化と有縁化は同列に扱えないという点だ。方や経済合理性を前面に、物事を精緻化していくのに対し、もう一方はあえて過不足(アンバランス)をもたせることで、関係状況の持続性を構成していく。

 人間の「つながり」は割り切れないがゆえに意味を有しているのであって、これを下手に割り切ろうなどと考えることは浅はかだ。

それほど歴史的な深みを持っているわけではないにもかかわらず、近年の市場原理主義に知らず知らずのうちに侵されていることで、われわれの認識は曇っている。合理化、効率化、最適化というフレーズに異を唱えることは難しい。数字がすべてであって、無駄は徹底的に排除する。人間的あいまいさよりも、機械的精緻さが美徳とされる。大きいことは良いことで、世界という単一基準が最高位に位置付けられる。

結局、人間の顔よりも、人間の数がものを言う。グロスでものごとを判じることが上手とされる。もちろん、目指すところがそうしたスケールにマッチしているのであれば、それ自体を何ら卑下することはないが、手段が目的化してしまって落としどころを見失っていないか。

発展とは、成長とは、だれのものであって、何のためなのか。国と国が争って、国力という数字で勝てばそれでいいのか。

人口というのは、最も時間を必要とする安定的なスケールだからこそ、小手先の対応で何とかしようなどという浅はかな発想は受け付けない。減るには減るだけの理由があるのであって、減ったから増やすとの対処療法が求められているわけではない。

良くも悪くも経済性一辺倒でやってきた方法論が曲がり角に突き当たったということは、これまで軽視されてきたそれ以外の面に目を向けるチャンスでもあるわけだ。市場や経済が積み残してきたものは何だったのか。手を付けやすい問題から解決してきた結果、一定の経済的成長が得られたとして、そろそろ次の次元にシフトチェンジする頃合いだといえよう。

つながりは古くて新しい問題だ。いや、時々刻々変化することを常とする問題といってもいいだろう。少なくとも、つながりを経済で代替できるなどという発想は慢心以外の何物でもない。つながりは経済に乗りきらないからこそ、存在意義があるのだ。