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「顔」が見える関係の意味するもの

情報に媒介された空間の広がりによって、私たちが関与できる可能性は一段と拡大してくる。容易に「装う」ことで、さまざまな表現が可能になる一方、どこかに芯を設けなければ、確たる立ち位置を示すことは難しくなる。

その意味で、顔が見えるかどうかが、基準点、参照点として大きな意味を持つ。

抽象化がすすむ交換の場に本来の価値を蘇らせること、その1つが「顔」を取り入れることである 選択の無限地獄からの脱却を欲する消費者から、「信任・信託」を受けること。つまり、選ばれるのではなく、任されること。21世紀の企業競争において、勝つ企業が満たすべき必要条件である。そのためには、「信任・信託」に足る企業の「顔」を示さねばならない。 選ばれるのではなく、任されること:無限の選択地獄での勝ち方 ダイヤモンドオンライン

きわめて原始的なところではあるが、最後は個々の顔を見て判断するというのが、人間という生物の定石であることに変わりはない。それはネットでるかリアルでるかに関わりなく、また個人か法人格かの別を問わない。

逆に、顔が見えない、もしくは顔を隠しているとするならば、それは責任に向き合っていないことの一つの証左ともいえる。 発信力が問われる現代だからこそ、責任の所在を明らかにすることはもちろん、自らの行動を担保する足掛かりとして、「顔が見える」ことに意味がある。