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ずる 嘘とごまかしの行動経済学 ダン・アリエリー 著 を読んで

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わたしたちは良い奴なのか、悪い奴なのか

本書の回答は、私たちは基本、良い奴だと思われたい。その限りにおいてちょっとした悪いことには目をつむる存在だということらしい。

つまり、100%良い奴とは言えないし、かといって徹底的に悪い奴ということでもない。他人から良い奴だと思われたいし、自分でもそう自己評価したい。

一方でずるをしたい、得をしたいという欲望は、そこかしこに転がっている。

この背反する命題を満たすためには、何でもかんでも極限までずるするわけにはいかない。目をつむれる、もしくは他から目をつむってもらえると思える程度のちょっとしたずるであれば、良心の呵責なしに許容できるということだ。

だから、露骨に現金に手を付けることは良しとしないが、現金でないものであればハードルが下がる。また、事前に宣誓や誓約をするなど、倫理規範を少なからず想起させられれば、ずるをしようとの意思は抑制される。

また、創造性がずるを促進するという話は衝撃だ。なぜなら、われわれは創造性を美徳だと考えているからだ。なのにその創造性が、自分を正当化する物語を脚色して構築してしまう犯人ともなる。つまり創造的であることは諸刃の剣なのだ。

さらに社会集団との関係にも注意が必要だ。ずるは感染するように集団に広がって拡大していくこともあるし、また、社会的な利他主義によっても促進されることがある。他者からの目線は抑止力になる一方で、他者のためという、もっともらしい正統性を与えたり、さらには、一緒に渡れば怖くないといった規範のハードルを下げる要因にもなりかねない。

このように、ずるをするかしないか、何をずるとみなすかは、グレーゾーンを含んでいる。線引きをするのは個々人の意識の問題であって、それは状況によって変化する(幅を持つ)。

何を善しとして、何を悪しきとするか。

これは個々人の倫理、道徳に強く依存する領域であって、一概にその白黒を確定しがたい部分を含む。ゆえに必然、グレーゾーンのようなあいまい性を避けることが難しい。ハードルを上げすぎれば生きずらいし、逆に下げすぎれば無秩序に陥る。

これは考え方を変えてみれば、望ましい水準にうまく誘導していくことが可能であるとも捉えられる。

人間行動とは、このように矛盾を含んだものであり、また、自分自身で自覚しているほどにはわかっていないものなのだ。

だから、そこにどういう特性があって、どういう因果で結論(選択)が変わってしまうのか、本書のような行動経済学的知見、実験から自省する機会を得ることに相応の意味がある。

ずるを悪として一律に排除するというよりも、人間はずるをしがちな存在であると認めたうえで、どうすればそういった衝動を抑えられるのか、自分の求める自己像を確立するには、どうすれば好ましくない誘惑から逃れられるのか。行動経済学がそこにいくつかのヒントを与えてくれると解釈すれば、もう少し肯定的に人間行動の特徴を追いかけることができそうだ。

ずるという最も人間臭い特性を下敷きに、そこに潜む暗黙のロジックを解き明かしていく数々の実験は、興味深く読むことができるだろう。