歴史は吟味を必要とする
歴史の重要性は多くの機会に取り上げられるが、その扱い方まで教えてくれるとは限らない。漫然とそれを受容すればいいだけなら簡単だが、そうもいかない。歴史には相応にバイアスがかかっているからだ。
この歪曲は、悪いことに目をつむり、良いことを過剰に宣伝する。それを鵜呑みにしても、学びとしての効果は薄い。もちろん個々の立場があっての歴史であるから、そこに正しさのようなものを期待することは難しいだろう。
しかし、そこに一呼吸入れ、咀嚼し、組み立てなおすことは、思考の鍛錬としては好適な環境であると解釈することもできよう。少なくとも、悪いことは大きめに、逆に良いことは控えめに。これをするだけで、よくある前例踏襲といった思考停止のヒューリスティクスにくさびを打つことはできる。
実際、歴史自体に良いも悪いもない。要はわれわれがそれをどう生かすかだ。現時点における、良い使い方と悪い使い方がある、それを選別できるかどうかが問われる。
世界中に、恐らくどの国にも「埋めてしまって、なきものとしている暗い過去」があるでしょう。そして、自分たちにとって都合のよいバージョンの歴史を作り、その中で生きていこうとしている。