something eureka

思索のヒント、ブックレビューなどを中心に

問題と問いは大違い、それは自分ごとになっているか

結局はなにごとも自分ごとにできるかどうかがカギを握る。

問題という場合、概して自分の意には反して起こった外部要因といった響きがある。つまり他人ごとなのだ。一方、問いといった場合は、自分がそこにコミットしていなければそもそも発生しない。

問題に対処することは最低限求められるハードルであるのに対し、良い問いを発することは、プラスアルファの伸びしろを意味する。なくてもとりあえず困らないかもしれないが、それは成長の放棄と同義だ。

問題で自己を差別化することはできない。しかし問いであれば自分らしさを発揮できる。同じ事象を単なる問題としてやり過ごすか、それとも新たな問いとして発展的に消化できるか。この差は字面以上に大きな隔たりがある。

さらに言えば、問題は対処と連動する方法論的カテゴリーだが、問いは組織文化と強く相関する。ゆえに両者を同じ次元ではとらえきれない。問いは感度とも連動するため、問題は認識できても、問いまで行きつかないことも往々にしてありうる。

解決策だけを重視する思考法は、「主張するだけで問いかけをしない文化」を生み出す。そうすると、誰もが自分の解決策にこだわり、その手法を主張するばかりで、多様な視点から考えることができなくなるのだ。

情報源: 「問題を持ってくるな。解決策を持ってこい」には問題がある | HBR.ORG翻訳リーダーシップ記事|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー