意味をどう見出すか、遠回りでこそ得られるもの
美学的にみて、答えは一つとは限らない。最短経路でスバっと解を導くのも一つの美学なら、紆余曲折しながら、むしろその過程を愉しむのもまた一つの美学の在り方だ。
経済性という指標はどうしても単一の最もわかりやすい形を良しとする傾向がある。良しとするのであって、実際問題、良いか悪いかはまた別の話だ。
リストラという考えも、再構築であるはずが、一義にコストカットのように捉えられるのも、こうした傾向を典型的に表しているといっていい。極論すれば、切りつめのリストラがあるなら、拡大のリストラだって同等にありうるはずだ。
無駄には無駄なりの意味がある。むしろ無駄から学べることも多いはずだ。間違いを極端に避けるようなやり方は、せっかくの学びの機会を放棄しているとみなされても致し方ない。引っ掛かりに気づけるか、それを無きものとしてスルーするか、感度が未来を左右する。
一見して意味がないと思われるものでも、それ自体はじめから意味がないのではなく、自分でそれを意味のないものと選別するから、意味がなくなるのだ。
人は面倒なことを避ける傾向にあります。人が面倒だと感じることを便利にしていくのがビジネスとするならば、あえて面倒なことを進んでやることが自分の立身出世に役立ちます。
面倒なことをやる、ということはすなわち、効率を追求しないということです。効率を追求する仕事は、今後AI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)にとって代わられる可能性が高いという見方ができます。面倒なことや地道なことは避けたい気持ちになりますが、そこをぐっとこらえて効果的な動きをするようにするのが、今後ビジネスパーソンとして市場で勝ち残っていく要諦になるでしょう。