2017-01-01から1年間の記事一覧
とかく安定志向や無難な筋書きが非難されがちであるが、要は使い方の問題ではないだろうか。 何でもかんでも発想を飛ばせばいいというものでもないし、収めることばかりでは既定路線を外す思考はできない。 どうしても慣れ親しんだ方法論を良しとする傾向が…
たくさんの選択肢がありすぎると、人間はかえって選べなくなる、とは心理学的によく言われることではあるが、情報が手軽に取得されるようになった現代では、まさに切実な問題なのかもしれない。 かつては自身の選択こそが自由の象徴ととらえられていたが、今…
経済性と社会性のどちらが優先するかというのは、卵が先か鶏が先かの議論にも通じる。いずれもが組織の存立に欠かせない以上、その優先順位にこだわるというよりも、両立に向けたバランスある目配りができるかどうかが期待される。 その意味では、入り口はフ…
パソコンのハードディスクが空き容量に書き込みするように、わたしたちも自分に空き容量をつくる必要がある。なぜなら、空きがなければ、新たなものは吸収できないのだから。 だとすれば、自分に空きがある=足りない部分があることを積極的に認めることが知…
反省というと、とかく失敗したことを悔いるようなネガティブな印象がある。 もちろんそれはそれで大事なことではあるが、マイナス意識は感情が先に立つ。言葉を変えるなら、反復、検証、振り返りといったほうが積極的に活かすことをプラマイなしに表現できる…
間違えないという方法は現実的ではない。なぜなら、人は間違えるものだから。 だとすれば、どう間違えるか、上手に間違えることが差異を生む。 とかく人は間違いから目を背けたがるものである。だからこそ、間違いに真摯に向き合えるかどうかが問われている…
関係性を生かすのと、関係性に振り回されるのは違う。 とかくつながりやすくなった現代においては、つながりを能動的に取捨選択できるかどうかが問われている。 放っておいても否応なくつながってしまう昨今だからこそ、意思を持って安易なつながりを除去し…
フェイクニュースや情報の信ぴょう性についての話題が取り上げられる昨今であるが、これは必ずしも悪いことばかりではない。 今は過渡期で、どうしても情報に振り回される傾向が強く出ているが、考えようによっては、情報を選別する能力を身に着けるチャンス…
会社に取り入れるとか、導入するとかという発想は、有用な機能を外部からビルトインすることを意味しているのだろうが、はたしてそれでいいのだろうか。 取り回しのきく、活用度の高いツールであれば、それを適宜取り入れることはやぶさかではないが、それは…
情報化によって、知の偏りが心配されているが、それは今に始まったことではない。保守的な人はどうしても自らの殻に閉じこもる。むしろ目にする光景が画一化されてしまえば、何か物足りない、面白くないと感じるのが人情だろう。 人間は好奇心をうまく活用し…
効率や迅速さにおいて、上からの半ば強制的方向付けが功を奏するのは事実である。一方で、そこに足りないのは、相手をその気にさせる仕掛けである。 正しさはその正しさゆえに息苦しい。そこに個々人の信念が絡み合えば、正しさはおのずと強化される。正しさ…
本質ありきという考え方は、ある種の正解を求める思考と共通するので、かえって発想を狭めてしまう可能性をはらんでいる。 原因と結果という帰結でものごとを「わかりたい」という欲求はわからないでもないが、何でもかんでも分かることから始めようとすると…
プラス×プラスであれば増幅されるが、プラス×マイナスであれば逆方向に反発してしまう。 議論の舞台は何でも解決ボックスではない。個々人が舞台そのものの確立に意識を向けないとすれば、机上の議論は混迷、空転するしかない。 十分に議論したということ自…
金銭的価値が幅を利かせることで、われわれは考える力を失ってきたのかもしれない。もちろん経済効率によって得られるものを無為だと退けるわけではないが、それだけになってしまうと視野が相当に狭められてしまう。 値段がない=価値がないのではなく、値段…
信頼はその人個人と結びつくことで強化される。 その意味では、いわゆる普通の情報と、個人の顔が見える信頼情報は似て非なるものだ。 情報はデータ的に均質ではない。意味あるもの、意味があると認められるだけの信頼情報が勝ち残る。そう考えると、情報に…
今日的なテーマとして、共創やソーシャルがもてはやされるが、それは一種の危険を伴う。 視点を自分から共というコミュニティに移譲することは、一見して「正しい」と認識されるがゆえに、個々人の主体性が薄まることに無自覚となる。 共創とは、個々人がそ…
確立してしまった自分のスタイルを崩すことはほんとうに難しい。フラットなつもりでいても、自分自身の撒いた罠にいつも片足を取られていると思ったほうがいいだろう。 単に利用するのと、利用し尽くすのでは、取り組みの深さが違う。利用し、利用されること…
歴史は繰り返す。〇〇を再発明する。etc. 一見陳腐化したものが、新たな需要を得て見事に息を吹き返す。つまり、対象物はまったく同じだとしても、それを用いる文脈が変わることで、その位置づけはプラスにもマイナスにも作用する。 肝心なのはそれが何かで…
ロジックとその正しさはまさに疑いの余地がないものの、それを用いる人間の側は、実は極めてあいまいな、良くも悪くもいい加減さを持ち合わせている。 感情というと一段低く見られがちだが、ロジックは機械に置き換えられても、感情は最後まで人間の側に残る…
習慣とはおそろしい。上書きは間違いを帳消しにできるかのように錯覚させる。正解ばかりを追い求める原因となる。 間違いへの向き合い方を学ばなければ、間違いを超克したことにはならない。 テストの答えが間違っていても、答案用紙上のデザイン性が優れて…
とかく人間は複雑なものほど意味があると思い込む傾向があるが、言葉による言明ひとつとっても、小難しい表現よりも、かんたんな表現ほど的をえているものだ。 むしろよくわからないからこそ、回りくどい言い回しを使ってそれをごまかそうとする。 いらない…
収獲逓減か収穫逓増か。工業社会かインターネット社会か。20世紀型か21世紀型か。 急いては事を仕損じる。スピード優先社会で誰もが功を焦る状況だからこそ、ためが必要な領域の見極めが問われている。弓を引き絞るが如く、十分なためがなければ必要な力は引…
見えるものを見ようとしないことは批判され、見るべく努力することが求められるが、そもそも見えないものは話題に上るはずもない。 われわれの認識や理解は経験をもとに構成されるのであるから、もっと経験を積めというのは道理ではある。一方で経験からは導…
スピード信仰によって、われわれは我慢ができなくなってしまっている。圧倒的な物量によって強制的に押し流されていることが、あたかも充実したものと錯覚しているともいえるだろう。 広く薄く、全体的に雰囲気をつかむだけであればそれで事足りるが、一方で…
ありがちな常識は、これまでのスケールで計測した場合の妥当を意味する。そのスケール自体が変われば、当然導かれる結果も異なることになる。 格差も国内問題と世界問題では意味するところが違い、同じ次元では測れない。 著者は、「グローバルな不平等を読…
言語は単なる手段ではなく、言語を通じてわれわれの認知体系(世界)が形成されているともいえる。 言い換えるなら、言葉を適当に扱っている人は、自身の世界も適当にしかつくり上げられないということにもなろう。 その意味では、一生言葉と真摯に向き合う…
紡ぐーかけ合わせて一つのものに纏め上げていく アイデアや発想はもともと断片的なものであり、それを形にしていくということは、地道な積み重ねとして個々の気づきを織り上げていく作業とも言い換えられる。 意外性というと周囲とは不連続の独立したものと…
ネガティブらしきものをそのままにネガティブとして受け取ってしまった時点で負けだ。世間では一般的にそれをネガティブというかもしれないが、少なくとも自分にとってそれが真に正負いずれであるかは、けっきょくのところ自分が決める問題である。 不確実性…
かつてはモノを手に入れること自体で達成感があったが、現在はモノに振り回されるのはかっこよくないという認識に変わってきた。つまり、いつまでもモノを追いかけるビジネスモデルでは通用しないということだ。 ではモノの先に何があるのか。生活という時間…
経済効果が測れないとはいえ、少なくとも企業イメージや社会的役割に資するという意味で無駄ではない。とかく販売を増やすにはという一本調子の思考に囚われやすいところを、無機的な自販機から有機的なコミュニティ存在に進化させる点が面白い。そこに次な…